中間試案後に追加された民法(相続関係)等の改正に関する試案(追加試案)の補足説明

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目 次
はじめに ............................................................... 2
第2 遺産分割に関する見直し等 ......................................... 4
 1 配偶者保護のための方策(持戻し免除の意思表示の推定規定).......... 4
 2 仮払い制度等の創設・要件明確化 .................................. 12
  ⑴ 家事事件手続法の保全処分の要件を緩和する方策 .................. 12
  ⑵ 家庭裁判所の判断を経ないで,預貯金の払戻しを認める方策 ........ 17
 3 一部分割 ........................................................ 24
 4 相続開始後の共同相続人による財産処分 ............................ 31
第4 遺留分制度に関する見直し ........................................ 58

目次

はじめに

(審議の経緯等)

相続法制については,昭和55年に配偶者の法定相続分の引上げや寄与分制度の創設等の見直しがされて以来,30年以上実質的な見直しはされていない状況にあるが,我が国においては,その間にも高齢化社会が更に進展し,家族の在り方に関する国民意識にも変化が見られるところである。このため,これらの社会情勢等を踏まえ,平成27年2月,法制審議会第174回会議において,法務大臣により,相続法制の見直しについて諮問がされ(諮問第100号),その調査審議のため,民法(相続関係)部会(以下「本部会」という。)(部会長・大村敦志東京大学大学院教授)が設置された。

本部会では,平成27年4月から平成28年6月までの間,概ね1か月に1回の割合で審議を重ね,平成28年6月21日の第13回会議において,「民法(相続関係)等の改正に関する中間試案」(以下「中間試案」という。)を取りまとめ,これを事務当局において平成28年7月12日から同年9月末までの間,パブリックコメントの手続に付した。

その後,パブリックコメントで寄せられた意見を踏まえ,平成28年10月以降,本部会における調査審議が再開され,その後も1か月に1回の割合で審議を重ね,その間,配偶者の相続分の引上げに代わる新たな配偶者保護策(持戻し免除の意思表示推定規定)や,同年12月19日最高裁大法廷決定(相続された預貯金債権について遺産分割の対象となる旨を判断)を踏まえた新たな方策も含めて調査審議が行われてきた。中間試案後に提案された新たな方策については,改めてパブリックコメントの手続に付した上で調査審議を行うのが相当であるとされ,平成29年7月18日の第23回会議において,「中間試案後に追加された民法(相続関係)等の改正に関する試案(追加試案)」(以下「追加試案」という。)が取りまとめられた。

なお,同会議においては,追加試案の内容を含む「要綱案のたたき台⑵」(部会資料23-1)が調査審議の対象となっており,追加試案の内容以外の項目については中間試案から大きく変更はないことから,今回のパブリックコメントの対象とはなっていない。上記のとおり,追加試案は,中間試案後に提案された新たな方策を対象とするものであり,「要綱案のたたき台⑵」の一部(具体的には,後記「第2 遺産分割に関する見直し等」の全体と,「第4 遺留分制度に関する見直し」の一部)を抜粋したものである。「要綱案のたたき台⑵」の構成としては,「第1 配偶者の居住権を保護するための方策」,「第2 遺産分割に関する見直し等」,「第3 遺言制度に関する見直し」,「第4 遺留分制度に関する見直し」,「第5 相続の効力等(権利及び義務の承継等)に関する見直し」,「第6 相続人以外の者の貢献を考慮するための方策」となっているが,その詳細については,この「要綱案のたたき台⑵」を参照頂きたい。

相続法制は,国民生活一般に深く関わるものであり,本部会では,本年10月以降,追加試案に対して寄せられた意見等を踏まえ,引き続き審議を行うことが予定されている。

なお,この追加試案についての補足説明は,これまでの本部会での審議を踏まえ,追加試案の内容の理解に資するため,追加試案の各項目について,その趣旨等を事務当局である法務省民事局(参事官室)の責任において補足的に説明する目的で作成したものであり,その文責は法務省民事局(参事官室)にある。このように,この補足説明は,あくまでも意見募集の対象である追加試案の内容について検討を加える際の参考資料として作成したものであって,それ以上の意味を持つものではない。

第2 遺産分割に関する見直し等

1 配偶者保護のための方策(持戻し免除の意思表示の推定規定)

民法第903条に次の規律を付け加えるものとする。 婚姻期間が20年以上である夫婦の一方が他の一方に対し,その居住の用に供する建物又はその敷地の全部又は一部を遺贈又は贈与したとき(第1・2の規律により長期居住権を遺贈又は贈与した場合を含む。)は,民法第903条第3項の意思表示があったものと推定する。

【見直しの要点】
婚姻期間が20年以上である夫婦の一方配偶者が,他方配偶者に対し,その居住用建物又はその敷地(居住用不動産)を遺贈又は贈与した場合については,民法第903条第3項の持戻しの免除の意思表示があったものと推定し,遺産分割においては,原則として当該居住用不動産の持戻し計算を不要とする(当該居住用不動産の価額を特別受益として扱わずに計算をすることができる。)ものとする。
【説明】

1 見直しの必要性

今回の諮問の趣旨,すなわち高齢化社会の進展等の社会情勢に鑑み,配偶者の死亡により残された他方配偶者の生活保障の必要性が高まっていることから,中間試案においては,配偶者の相続分を一定の条件で引き上げるという考え方を提示したが,パブリックコメントにおいてはこれに反対する意見が多数を占めた。

その後の本部会における審議においては,配偶者の相続分の引上げについて従前から指摘されていた問題点を解消することは困難であるものの,配偶者保護のための方策を検討するという方向性自体は必要かつ有益であり,配偶者の相続分の引上げに代わる別の方策を含めて検討すべきであるという指摘が相次いでされた。また,配偶者の貢献を相続の場面で評価することには限界があるため,生前贈与や遺贈を促進する方向での検討もされるべきではないかとの指摘もされたところである。

ところで,現行法上,各相続人の相続分を算定するに当たっては,通常,相続人に対する贈与の目的財産を相続財産とみなした上で,相続人が贈与又は遺贈(以下「贈与等」という。)によって取得した財産は特別受益に当たるものとして,当該相続人の相続分の額からその財産の価額を控除することとされている(民法第903条第1項)(注1)。このような計算(持戻し計算)を行った場合には,いわゆる超過特別受益が存在する場合を除き,結局は贈与等があっても,配偶者の最終的な取得額は贈与等がなかった場合と比べても変わらないことになるが,被相続人が特別受益の持戻し免除の意思表示をした場合には,特別受益の持戻し計算をする必要はなくなる結果,贈与等を受けた配偶者は,より多くの財産を最終的に取得することができることとなる(民法第903条第3項)(注2)。

現行法上,配偶者に対する贈与に対して特別な配慮をしているものとして相続税法上の贈与税の特例という制度があるところ,これは,居住用不動産は通常夫婦の協力によって形成された場合が多く,夫婦の一方が他方にこれを贈与する場合にも,一般に贈与という認識が薄いこと,居住用不動産の贈与は配偶者の老後の生活保障を意図してされる場合が多いことなどを考慮して設けられたものであると説明されている(注3)。この制度は,配偶者の死亡により残された他方配偶者の生活について配慮するものともいえるが,民法上も,配偶者に対して行われた一定の贈与等について,贈与税の特例と同様の観点から一定の措置を講ずることは,贈与税の特例とあいまって配偶者の生活保障をより厚くするものといえ,今回の諮問の趣旨に沿うものと考えられる。

また,婚姻期間が20年を超える夫婦の一方が他方に対して居住用不動産を贈与等する場合には,通常それまでの貢献に報いるとともに,老後の生活保障を厚くする趣旨で行われるものと考えられ,遺産分割における配偶者の相続分を算定するに当たり,その価額を控除してこれを減少させる意図は有していない場合が多いものと考えられる。したがって,上記のような推定規定を設けることは,一般的な被相続人の意思にも合致するものと考えられる(注4)。

そこで,追加試案では,配偶者保護の方策の一環として,婚姻期間が20年以上の夫婦の一方配偶者が,他方配偶者に対し,居住用不動産等を贈与等した場合には,民法第903条第3項の持戻し免除の意思表示があったものと推定する旨の規律を掲げることとしたものである。

(注1)持戻し計算の具体例

【事例】相続人 配偶者Xと子ども2人(Y,Z)
    遺産  居住用不動産持分1/2 3000万円(評価額)
        その他の不動産     3000万円(評価額)
        預貯金         3000万円
        Xに対する贈与 居住用不動産持分1/2 3000万円(評価額)

【検討】

被相続人死亡時点においては,遺産は9000万円分しかないが,贈与された不動産が持戻し計算されるとなると,Xの遺産分割における相続分は,

(9000万+3000万)×1/2 ―3000万=3000万円

となり,Xの最終的な取得額は,

3000万+3000万=6000万円分

となり,結局,贈与があった場合とそうでなかった場合とで,最終的な取得額に差異がないこととなる。

(注2)持戻し免除の具体例

前記(注1)の事例において,前記贈与について持戻し免除の意思表示が認められた場合,Xの遺産分割における取得額は,

9000万×1/2=4500万円分

となり,Xの最終的な取得額は,

4500万+3000万=7500万円分

となり,贈与がなかった場合と比べ,より多くの財産を最終的に取得することができることとなる。

(注3)贈与税の特例について

贈与税の特例として,婚姻期間が20年以上の夫婦の間で,居住用不動産又は居住用不動産を取得するための金銭の贈与が行われた場合,基礎控除(110万円)のほかに最高2000万円まで控除(配偶者控除)ができるという特例が設けられており(相続税法第21条の6),その立法趣旨としては,①夫婦の財産は夫婦の協力によって形成されたものであるとの考え方から夫婦間においては一般に贈与という認識が薄いこと,②配偶者の老後の生活保障を意図して贈与される場合が多いことなどを考慮し(税大講本・相続税法),一生に一度に限り,その取得した居住用財産の課税価格から2000万円を限度として控除することを登記事項証明書等の提出を要件として認めることとしたなどと説明されている。

なお,この贈与税の特例については,平成27年は1万3959件,平成26年は1万6660件,平成25年は1万5474件,平成24年は1万3538件の適用件数があった(国税庁統計年報書による。)。

(注4)現行法の下でも,本方策の要件に該当する事案では,黙示の持戻し免除の意思表示が認められることになるケースが多いものと思われる。

公刊物に掲載されている裁判例は多くないが,居住用不動産の持分を配偶者に生前贈与したものについて,「長年にわたる妻としての貢献に報い,その老後の生活の安定を図るためにしたものと認められる。そして,(中略)他に老後の生活を支えるに足る資産も住居もないことが認められるから,右の贈与については,暗黙のうちに持戻し免除の意思表示をしたものと解するのが相当である」と判示した事例がある(東京高決平成8年8月26日家月49巻4号52頁)。

2 見直しの趣旨及び内容

本方策は,①婚姻期間が20年以上である夫婦の一方配偶者が,他方配偶者に対し,②その居住の用に供する建物又はその敷地の全部又は一部(居住用不動産)を目的とする贈与等をした場合には,③民法第903条第3項の持戻しの免除の意思表示があったものと推定し,遺産分割において当該居住用不動産の持戻し計算を不要とする(当該居住用不動産の価額を特別受益として扱わずに計算をすることができる。)ものである。以下,各要件について説明を加える。

まず,①本方策においては,婚姻期間が20年以上の夫婦という限定を設けている。長期間婚姻関係にある夫婦については,通常,一方配偶者が行った財産形成における他方配偶者の貢献・協力の度合いが高いものと考えられ,そのような状況にある夫婦が行った贈与等については,類型的に,当該配偶者の老後の生活保障を考慮して行われる場合が多いといえ,民法上も特段の配慮をする必要があるといえる。

次に,②本方策においては,贈与等の対象物を居住用不動産に限定している。贈与税の特例における立法趣旨を踏まえると,居住用不動産の贈与等については,類型的に,相手方配偶者の老後の生活保障を考慮して行われる場合が多いといえ,民法上も特段の配慮をする必要があるといえる。なお,相手方配偶者の老後の生活保障を考慮して行われる贈与等の対象については,居住用不動産に限らないとは思われるが,居住用不動産については老後の生活保障という観点で特に重要なものであること(なお,成年被後見人の居住用不動産を成年後見人が処分する際には家庭裁判所の許可を要するものとされている(民法第859条の3)など,既に民法においても居住用不動産については生活保障の観点から特に重要な財産であるという位置付けをしている。),その他の財産も含めるとすると,配偶者以外の相続人に与える影響も大きいこと等を考慮して,本方策では居住用不動産に限定することとしている(注1)(注2)(注3)。

また,本方策は,贈与のみならず,遺贈により居住用不動産の譲渡が行われた場合も対象としている。贈与税の特例は,居住用不動産の生前贈与を対象としたものであるが,居住用不動産の遺贈についても,高齢配偶者の生活保障の観点からされる場合が多いものと考えられ,上記の趣旨が同様に当てはまるものと考えられる(注4)。なお,婚姻期間が20年以上の夫婦間で,長期居住権が遺贈又は死因贈与された場合についても,上記の趣旨は当てはまるものと考えられることから,本方策の対象としている。

最後に,③本方策は,居住用不動産の贈与等が行われた場合には,民法第903条第3項の持戻しの免除の意思表示があったものと推定し,遺産分割においては,当該居住用不動産の持戻し計算を不要とする(当該居住用不動産の価額を特別受益として扱わずに計算をすることができる。)こととしている(注5)。したがって,被相続人が異なる意思を表示している場合(意思表示が黙示にされた場合を含む。)には,本方策は適用されないこととなる。

(注1)居宅兼店舗について贈与等があった場合について

居宅兼店舗である建物について贈与がされた場合について,本方策の規律の適用があるのか,問題となる。

この点について,少なくとも居住用部分は本方策の規律の適用があると考えるのが相当であるといえるが,その余(店舗等)の部分についてまで本方策の規律の適用があるといえるか,居住用部分については本方策の規律の適用があることを前提に,その余の部分についても事実上の推定が働くと考えるか,それとも,その余の部分については別途独立に持戻し免除の意思表示を検討することになるのかといった点は,当該不動産の構造や形態,さらには被相続人の遺言の趣旨等によっても判断が異なり得るものと考えられる。

なお,贈与税の特例については,居住用部分から優先的に贈与を受けたものとして配偶者控除を適用して申告することができ,また,居住用部分がおおむね90パーセント以上の場合は全て居住用不動産として扱うことができることとされている(国税庁タックスアンサーNo.4455)。

(注2)居住用要件の基準時について

本方策においては,贈与等の対象物を居住用不動産に限定しているが,いつの時点で居住の用に供している必要があることとすべきか,その要件設定の仕方が問題となる。本方策は,贈与等の時点で居住の用に供していれば足りることとしているが,このような考え方を採用すると転居を繰り返すことによって,複数の不動産が本方策の対象となり得ることから,相続開始時に居住の用に供していることを要件とすべきとも考えられる。

この点について,本方策は,贈与等を行った被相続人の持戻し免除の意思を推定する規定であるところ,贈与等を行った後に,被相続人が自己の意思を発現する何らかの行為をすることが一般に想定されるのであれば,その時点をとらえて被相続人の意思を推定することも可能であろうが,一般に,贈与等を行った被相続人がその後死亡するまでの間に当該贈与等について何らかの意思表示をするとは考えにくいことからすると,居住用要件の判断の基準時は,贈与等をした時点を基準時とすべきであると考えられる(なお,贈与等の時点で居住の用に供していなかったとしても,贈与等の時点で近い将来居住の用に供する目的で贈与等した場合についても,本方策による推定が及ぶとの解釈をすることができるものと考えられる(民法第859条の3の解釈についても,現に居住の用に供していなくても,居住の用に供する予定があれば足りると解されている。)。)。

確かに,贈与等の時を基準時とすると,転居を繰り返すことによって,複数の不動産が本方策の対象となり得る。もっとも,本方策は,あくまでも被相続人の意思の推定規定であり,被相続人が持戻しの免除をしないという意思表示をしている場合には,本方策は適用されないところ,一般に,一度居住用不動産の贈与をした者が,転居をし,その後また居住用不動産の贈与をした場合には,先の贈与については相手方配偶者の老後の生活保障のために与えたという趣旨は撤回されたものと考えられ,明示又は黙示に持戻し免除をしないという意思が認められる場合も多いのではないかとも考えられる。なお,贈与税の特例については,同一の当事者の間では,一生に1回しか用いることができず,頻繁に居住用不動産の贈与が行われるということは通常想定し難いといえる(下記表のとおり比較的高い税率が課されることとなる。)。

(注3)世帯構造別に見た住宅の所有権の関係別割合について

高齢者のいる主世帯について,世帯構造別に住宅の所有関係を見てみると(下記図表(平成28年厚生労働白書からの抜粋)参照),高齢者のいる夫婦のみの主世帯や高齢者のいるその他の主世帯では,9割近くが持ち家を有しており,本方策の対象を居住用不動産に限定したとしても,大多数の高齢者が本方策を用いることができるように思われる。

(注4)相続させる旨の遺言との関係について

いわゆる相続させる旨の遺言があった場合に,本方策の規律を適用又は類推適用することができるか,相続させる旨の遺言については,一般に遺産分割方法の指定であると解されているので(最判平成3年4月19日民集45巻4号477頁),問題となる。相続させる旨の遺言がされた場合に持戻しの免除をすることができるかは,現行法においても問題となり得るところ,この点について明確に言及した判例は見当たらない。相続させる旨の遺言が遺産分割方法の指定であると解される場合についても,遺贈と実質的に大きな差異はないことからすると,贈与等がされた場合と同様の持戻し計算を行うという考え方もあり得るように思われる。また,相続させる旨の遺言についても,上記最判も,「遺言書の記載から,その趣旨が遺贈であることが明らかであるか又は遺贈と解すべき特段の事情のない限り,・・・遺産分割方法の指定がされたと解すべき」と判示しているのであり,本方策の存在を根拠として,「遺贈と解すべき特段の事情」があると考えることもできるように思われる。

これらの考え方を前提とすれば,居住用不動産を相続させる旨の遺言がされた場合についても,本方策の趣旨が同様に当てはまるとして,本方策の規律を適用又は類推適用することができるものと考えられる。

(注5)遺贈における持戻し免除の意思表示について

遺贈に係る持戻しの免除の意思表示については遺言の中で行わなければならないと解する立場が有力であるところ(遺言必要説),本方策のような考え方を採用すると,居住用不動産の遺贈が行われた場合に,当該遺贈に係る持戻し免除の意思表示を遺言で行っていないことになり遺言必要説と矛盾するのではないか,また,遺言必要説を前提としたとしても,被相続人の持戻し計算をするという意思表示(本方策の規律により法律上推定される持戻し免除の意思表示を排除する旨の意思表示)は遺言による必要がないのか,問題となり得る。

この点,民法第999条第1001条が,一定の場合に,遺贈に係る遺言者の意思を推定する規定を設けていることからすると,仮に,遺言必要説を採用したとしても,法律上,遺言者の意思を推定する規定を設けることは現行民法も許容していると考えられる。

また,民法第999条等の解釈において,遺言者の別段の意思表示があるときはそれに従うべきであるとの解釈がされ,反証が認められていることからすると,遺言必要説を採用したとしても,持戻し免除の意思表示の推定を覆すためには,必ずしも遺言による必要はないとも考えられる。

2 仮払い制度等の創設・要件明確化

⑴ 家事事件手続法の保全処分の要件を緩和する方策

家事事件手続法第200条に次の規律を付け加えるものとする。 家庭裁判所は,遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において,相続財産に属する債務の弁済,相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権を行使する必要があるときは,他の共同相続人の利益を害しない限り,当該申立てをした者又は相手方の申立てにより,遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部を仮に取得させることができる。

【見直しの要点】
預貯金債権の仮分割の仮処分については,家事事件手続法第200条第2項の要件を緩和することとし,家庭裁判所は,遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において,相続財産に属する債務の弁済,相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権を行使する必要があるときは,他の共同相続人の利益を害しない限り,申立てにより,遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部を仮に取得させることができるものとする。
【説明】
1 見直しの必要性

平成28年12月19日最高裁大法廷決定(民集70巻8号2121頁。以下「本決定」という。)は,従前の判例を変更し,預貯金債権が遺産分割の対象に含まれるとの判断を示した。預貯金債権については,本決定前は,相続開始と同時に当然に各共同相続人に分割され,各共同相続人は分割により自己に帰属した債権を単独で行使することができるものと解されていたが,本決定後は,遺産分割までの間は,共同相続人全員が共同して行使しなければならないこととなった。これにより,本決定の共同補足意見(大谷剛彦裁判官,小貫芳信裁判官,山﨑敏充裁判官,小池裕裁判官,木澤克之裁判官によるもの。以下「共同補足意見」という。)においても指摘されているとおり,共同相続人において被相続人が負っていた債務の弁済をする必要がある,あるいは,被相続人から扶養を受けていた共同相続人の当面の生活費を支出する必要があるなどの事情により被相続人が有していた預貯金を遺産分割前に払い戻す必要があるにもかかわらず,共同相続人全員の同意を得ることができない場合に払い戻すことができないという不都合が生ずるおそれがあることとなった。

現行法の下では,共同補足意見でも指摘されているとおり,家事事件手続法(以下,この項目において「法」ということがある。)第200条第2項の仮分割の仮処分を活用することが考えられ,これにより,共同相続人間の実質的な公平を確保しつつ,個別的な権利行使の必要性に対応することができるものと思われるが,同項は共同相続人の「急迫の危険を防止」する必要がある場合に仮処分ができるとしており,その文言上,厳格な要件を課していることからすると,立法により,預貯金債権の仮分割に限り,一定の要件の下で,同項の要件を緩和することが考えられる。

2 見直しの内容

そこで,本方策では,家庭裁判所が,①遺産の分割の審判又は調停の申立てがあった場合において,②相続財産に属する債務の弁済,相続人の生活費の支弁その他の事情により遺産に属する預貯金債権を行使する必要があるときは,③他の共同相続人の利益を害しない限り,④相続人の申立てにより,⑤遺産に属する特定の預貯金債権の全部又は一部を申立人に仮に取得させることができるものとしている。仮分割の仮処分の必要性があり,また,他の共同相続人の利益を害しないと裁判所が判断した場合には,預貯金債権の仮分割に限り,法第200条第2項の要件を緩和することとするものである。以下,各要件について説明を加える。

まず,①本方策では,他の家事事件の保全処分と同様に,本方策に係る仮分割の仮処分を申し立てるに当たっては,遺産分割の調停又は審判の本案が家庭裁判所に係属していることを要するという,いわゆる本案係属要件を要求している(注1)。

次に,②本方策による仮分割の仮処分は,相続財産に属する債務の弁済,相続人の生活費の支弁など家庭裁判所が遺産に属する預貯金債権を行使する必要があると認める場合に許容される。必要性の判断については,家庭裁判所の裁量に委ねる趣旨である(注2)。

また,③本方策による仮分割の仮処分は,他の共同相続人の利益を害しない限り認められることとしている。具体的な審査の内容については,個別具体的な事件を担当する裁判官の判断に委ねられるものの,㋐原則として,遺産の総額に申立人の法定相続分を乗じた額の範囲内(相手方から特別受益の主張がある場合には具体的相続分の範囲内)で仮払いを認める,㋑被相続人の債務の弁済を行う場合など事後的な精算も含めると相続人間の公平が担保され得る場合には,㋐の額を超えた仮払いを認めることもあり得る(注3),㋒㋐の額の範囲内での仮払いを認めるのも相当でなく,当該預貯金債権の額に申立人の法定相続分を乗じた額の範囲内に限定するのが相当な場合(例えば,預貯金債権のほかには,一応の資産価値はあるが市場流通性の低い財産が大半を占めている場合。このような場合には,他の共同相続人も預貯金債権の取得を希望することが多いと思われる。)にはその部分に限定することもあり得る,といった解釈論を許容することを想定している。

また,④本方策による仮分割の仮処分は,遺産分割の調停又は審判の申立てをした申立人又は相手方(共同相続人の一人又は数人)の申立てによることとしている。法第200条第2項の仮処分と同様の規律である。

最後に,⑤本方策は,一定の要件の下で,家庭裁判所が,預貯金債権の仮分割の仮処分をすることができることとしている。仮分割がされた場合における本案における遺産分割(以下「本分割」という。)については,民事事件における保全と本案訴訟との関係と同様に解することができるものと考えられ(最判昭和54年4月17日民集33巻3号366頁参照),原則として,仮分割により申立人に預貯金の一部が給付されたとしても,本分割においてはそれを考慮すべきではなく,改めて仮分割された預貯金債権を含めて遺産分割の調停又は審判をすべきものと考えられる(注4)(注5)。

(注1)本案係属要件の要否について

本部会においては,本方策による仮分割の仮処分については本案係属要件を要求しないという考え方についても検討を行った。その結果,この考え方を積極的に支持する意見はなかった一方で,仮に本案係属要件を外す場合には,遺産分割事件の保全処分一般を検討の対象にせざるを得ず,そうすると,家事事件手続法上の他の手続との平仄を慎重に検討をする必要があるが,財産分与や婚姻費用の分担等との違いを説明することは困難ではないかとの指摘がされた。

追加試案では,これらの指摘に加え,遺産分割の調停の申立て自体は簡易かつ廉価ででき(書式は家庭裁判所のホームページに掲載されており,申立費用も1200円と低額である。),また,提出すべき添付書類という観点でみても審判前の保全処分と本案とでさほど差異はなく,本案係属要件を要求したとしても当事者に過大な負担を課すわけではないと考えられること等を考慮し,本方策により仮分割の仮処分についても本案係属要件を維持することとしている。

(注2)仮払いの必要性について

本部会においては,本方策の規律とは異なり,仮払いの必要性が認められる場合を限定列挙することも検討されたが,仮払いの必要性が認められるとされる費目を過不足なく列挙することは相当困難であることから,このような考え方は採用されなかった。本方策は,裁判所の判断を経た仮払いであり,仮払いを認めるか否かの審査の中で,申立人が主張する資金需要が適切なものか否かの審査も行うことができ,また,現に法第200条第2項の仮払いにおいても保全の必要性の審査の中で同様の判断をしているものと考えられることから,必ずしも費目を限定列挙する必要はないものと考えられる。

(注3)法定相続分を前提とした取得額を超える仮払いについて

「他の共同相続人の利益を害しない」という要件の審査においては,本文にもあるとおり,基本的には,仮払いによる申立人の取得額が,遺産の総額にその法定相続分を乗じた額の範囲内に入っているかどうかを審査すれば足りるように思われるが,被相続人の債務の弁済のように後々の相続人間の求償において処理できる場合には,上記範囲を超えた仮払いを認める余地もあるように思われる。

例えば,相続人がA,B,Cの3名(法定相続分は各13)で,積極財産が600万円(預金),弁済期が到来した相続債務が240万円あったとすると,Aの積極財産における取り分は200万円であるが,Aの申立てにより,預金のうち240万円をAに仮分割することも,場合によっては許容され得るものと思われる。なお,上記の場合の本分割のあり方については,最終的な精算も見据えて本分割において代償金の支払を命ずる方法(【案1】)と,積極財産を法定相続分で割り付け,代償金による精算が生じないようにする方法(【案2】があり得るが,事案に応じていずれの処理も許容され得るものと思われる。

【案1】

① 本分割において

「Aに,預金債権(600万円)のうち360万円を取得させる

(実際は,仮分割の分を除き,120万円を取得させる。),

 Bに,預金債権のうち120万円を取得させる,

 Cに,預金債権のうち120万円を取得させる,

 Aは,代償金として,Bに対して80万円を支払え,

 Aは,代償金として,Cに対して80万円を支払え。」

  との遺産分割審判を行い,

② AがBの債務を第三者弁済したことによって取得した求償債権(80万円)をもって,BがAに対して本分割により取得した代償金債権と相殺することで(AC間も同じ),精算処理を行うことができる。

【案2】

① 本分割において,

「Aは,預金債権のうち200万円を取得する

(実際は,仮分割で240万円もらっているので,本分割では0円)

Bは,預金債権のうち200万円を取得する(実際は180万円しかもらえない)

Cは,預金債権のうち200万円を取得する(実際は180万円しかもらえない)」

との遺産分割審判を行い,

② 本分割の結果,Aに対する過払い分(40万円)については,B及びCが各20万円の不当利得返還請求権を有している,また,Aは,B及びCに対して各80万円の求償債権を有していると整理することができるので,結局,Aが,B及びCに対して,相殺の上,各60万円の求償債権の行使をすることができる。

(注4)仮分割と本分割との関係について

例えば,相続人がA,B,Cの3名(法定相続分は各1/3)で,相続財産が預金200万円,甲不動産(200万円分),乙不動産(200万円分)あり,Aの生活費のために上記預金債権200万円を仮払いする旨の仮分割をした場合であっても,本分割においては,下記のとおり,上記預金債権も含めて改めて分割する旨の審判をすることになるものと思われる。

「被相続人の遺産を次のとおり分割する。

 1 Aに,預金債権(200万円)を取得させる。

 2 Bに,甲不動産を取得させる。

 3 Cに,乙不動産を取得させる。」

(注5)仮分割による支払と預貯金債権の債務者(金融機関)との関係

仮分割により,特定の相続人が預貯金債権を取得し,その債務者から支払を受けた場合,債務者との関係では有効な弁済として扱われ,本分割において異なる判断が示されたとしても,債務者が行った弁済の有効性が事後的に問題となる余地はないものと考えられる。

⑵ 家庭裁判所の判断を経ないで,預貯金の払戻しを認める方策

共同相続された預貯金債権の権利行使について,次のような規律を設けるものとする。 各共同相続人は,遺産に属する預貯金債権のうち,その相続開始時の債権額の2割にその相続人の法定相続分を乗じた額(ただし,預貯金債権の債務者ごとに100万円を限度とする。)については,単独でその権利を行使することができる。〔この場合において,当該権利行使をした預貯金債権については,遺産分割の時において遺産としてなお存在するものとみなす。〕

【見直しの要点】
各共同相続人は,遺産に属する預貯金債権のうち,以下の計算式で求められる額(ただし,同一の金融機関に対する権利行使は,100万円を限度とする。)については,他の共同相続人の同意がなくても単独で払戻しをすることができるものとする。

(計算式)

(相続開始時の預貯金債権の額(口座基準))×20パーセント×(当該払戻しを求める共同相続人の法定相続分)=単独で払戻しをすることができる額

【説明】
1 見直しの必要性

」の方策は,家事事件手続法第200条第2項の要件を緩和し,一定の要件の下で預貯金債権の仮払いを認めるものであるが,保全処分の要件を緩和したとしても,相続開始後に資金需要が生じた場合に,裁判所に保全処分の申立てをしなければ単独での払戻しが一切認められないことになれば,相続人にとっては大きな負担になるとも考えられる。中間試案に対するパブリックコメントの結果においても,仮に相続開始後遺産分割終了までの間,可分債権の行使が原則として禁止されるのであれば,一定の上限を設けた上で,裁判所の判断を経ることなく,金融機関の窓口において預貯金の払戻しを受けることができる制度を設けるべきであるとの意見が多数寄せられた。

そこで,各共同相続人が,裁判所の判断を経ることなく金融機関の窓口において,遺産に含まれる預貯金債権を行使することができることとする制度について,検討する必要があるものと考えられる。

2 見直しの内容

前段」では,各共同相続人は,遺産に属する預貯金債権のうち,その相続開始時の債権額の2割にその相続人の法定相続分を乗じた額(ただし,預貯金債権の債務者ごとに100万円を限度とする。)については,単独でその権利を行使することができることとしている。

本決定によれば,共同相続された預貯金債権は,遺産分割の対象とされ,相続人単独では払戻しが認められないこととなるが,通常他の共同相続人の利益を害することがないと認められる限度では,単独での権利行使を認め,小口の資金需要に対応できるようにするのが国民の利便に資すると考えられることから,預貯金債権のうち一定割合(金額による上限あり)については,相続人単独での権利行使をすることができるようにするものである。

なお,本決定の趣旨,すなわち,遺産分割手続を行う実務上の観点からは,具体的な遺産分割の方法を定めるに当たっての調整に資する財産を遺産分割の対象とすることに対する要請も広く存在することなどを踏まえ,従前の判例を変更し,預貯金債権については当然分割がされず,遺産分割の対象とすると判断されたことなどを踏まえると,立法により,預貯金債権の一部について単独で権利行使をすることができることにするとしても,自ずとその範囲は限定的に解する必要があり(注1),本方策では,その範囲を,各預貯金債権の額の2割に払戻しを求める共同相続人の法定相続分を乗じた額を単独で権利行使できる額としている(注2)。

また,本方策では,金額による上限を設けており,金融機関ごとに100万円を上限とし,同一の金融機関に複数の口座がある場合には,合算して100万円を限度とすることとしている。まず,金額による上限を設ける趣旨については,①裁判所の個別的判断を経ないでも定型的に預貯金の払戻しの必要性が認められる額に限定すべきであると考えられること,②上限額を設けないと,具体的相続分を超過した支払が行われた場合にその超過額が大きくなって,他の共同相続人の利益を害する程度が大きくなり(注3),本決定の趣旨を没却するおそれがあることが挙げられる。また,上限額を設ける場合には,㋐預貯金債権ごとに定めるという考え方(複数の口座があればその分上限額が増えることになる。),金融機関ごとに定めるという考え方(同一の金融機関に複数の口座があっても上限額は変わらないが,複数の金融機関に口座がある場合はその分上限額が増えることになる。),被相続人が有している預貯金債権全体を基準に定めるという考え方(複数の金融機関に口座があったとしても上限額は変わらないことになる。)があり得るが,本部会では,上記①の要請と簡易かつ迅速にごく一部の預貯金の払戻しを受けられるようにするという要請の両者を満たすものとしては,㋑の考え方を採用するのが相当であるとされたことから,本方策では,同一の金融機関に複数の口座がある場合には,合算して100万円を限度とすることとしている(注4)(注5)。

なお,「後段」では,「前段」の権利行使がされた場合には,当該権利行使がされた預貯金債権については,遺産分割の時において遺産としてなお存在するものとみなし,精算義務を課すこととしている。したがって,当該権利行使がされた預貯金債権については,仮分割の仮処分が行われた場合と同様の扱いとなり,当該権利行使をした相続人の具体的相続分を超える預貯金の払戻しがされた場合には,本案の審判において,一般には代償金債務(注6)を発生させることによりその精算を行うことになるものと考えられる(注7)。

このような精算義務の規律を設ける必要性と許容性についても検討を加えると,まず,必要性については,このような規定を設けることにより,預貯金債権全体について遺産分割の対象とすることができ,相続人間の公平を担保できるとともに,本決定が預貯金債権を遺産分割の対象とすると判断した趣旨を徹底することができる。次に,許容性については,本来は共同相続された預貯金債権は遺産分割の対象財産となっており,各共同相続人の単独での権利行使は認められないところ,その例外として,相続人の小口の資金需要に対応できるよう預貯金債権の一部について単独での権利行使を認めることとしたものであり,専ら権利行使をする相続人のための規定であるから,そのような権利行使をした者に遺産分割において精算の義務を課したとしても,当該相続人に特段過大な負担を課すとか,不利益を課すことにはならないものと考えられる。現行法の下でも,本来は遺産分割の対象ではないものについても,当事者の合意がある場合には遺産分割の対象に含めることができることとされている(最判昭和54年2月22日家月32巻1号149頁(遺産から逸出した財産の代償財産も当事者の同意があれば遺産分割の対象となる旨を判断)参照)ところ,本方策は上記のとおり専ら権利行使をする相続人のための規定であり,その者に同意の義務を課す(又は同意したものとみなす)ことが許容されるのは前述のとおりであり,かつ,他の共同相続人にとっても当該権利行使をした財産も含めて遺産分割の対象とした方がより多くの財産を取得することができるようになることから,当事者全員の同意があった場合に準じて,「遺産分割の時において遺産としてなお存在するものとみなす」ことも十分に可能であるものと考えられる。

(注1)適切な割合設定の必要性について

下記の事例からも明らかなとおり,預貯金債権の単独権利行使を認めるとしても,適切な割合設定が必要になるものと考えられる。

【事例】

相続人A,Bの2名(法定相続分各1/2)

相続財産 1000万円(預金)のみ

 Aに対する特別受益(生前贈与) 800万円

 Aが,相続開始後,本規律によって預貯金債権の一部の支払を求めたものとする。

⑴ 預金全てが遺産分割の対象と考えた場合

 Aの具体的相続分 (1000万+800万)×1/2―800万=100万円

 Bの具体的相続分 (1000万+800万)×1/2=900万円

⑵ 単独権利行使できる割合を5割(上限額なし)と設定した場合

 Aは,本規律により250万円の弁済を受けることができる。

 Aは,(具体的相続分を超過する)1050万円を取得する一方で,Bは,750万円しか得られないこととなる(精算の仕組を設けたとしてもAが無資力であれば回収できない。)。

⑶ 単独権利行使できる割合を1割(上限額なし)と設定した場合

 Aは,本規律により50万円の弁済を受けることができ,具体的相続分を超過した利得を得るということにはならない。

 一方,Aは,50万円しか得られないので,その資金需要に十分対応できるかどうか問題が生じることとなる。

(注2)権利行使ができる預貯金債権の割合・額について

権利行使ができる預貯金債権の割合・額については,個々の預貯金債権ごとに判断されることになる。

例えば,遺産のうち,A銀行の普通預金に300万円,A銀行の定期預金に400万円あった場合には,本方策によって法定相続分が12である相続人が単独で権利行使できるのは,普通預金のうちの30万円,定期預金のうちの40万円となり,普通預金30万円,定期預金40万円の払戻しを受けることはできるが,普通預金70万円,定期預金0円,という払戻しは認められないこととなる。

(注3)金額による上限額を設ける必要性について

以下の事例からも明らかなとおり,他の共同相続人の利益を害しないよう,適切な金額による上限額を定める必要があると考えられる。

【事例】

相続人A,Bの2名(法定相続分各1/2)

相続財産 6000万円(預金)のみ

Aに対する特別受益(生前贈与) 6000万円

Aが,相続開始後,本方策によって預貯金債権の一部の支払を求めたものとする。

⑴ 預金全てが遺産分割の対象と考えた場合

 Aの具体的相続分 (6000万+6000万)×12―6000万=0円

 Bの具体的相続分 (6000万+6000万)×12=6000万円

⑵ 上限額(100万円)を設けた場合

 Aは,本方策により100万円の弁済を受けることができる。

 精算の仕組を設けたとしても,Aが無資力であれば,Bは100万円の損失を被ることになる。

⑶ 上限額を設けない場合

 Aは,本方策により600万円の弁済を受けることができる。

 精算の仕組を設けたとしても,Aが無資力であれば,Bは600万円の損失を被ることになり,上限額を設けないとBが被る可能性のある損失が大きくなるという問題がある。

(注4)の考え方(全預貯金債権を対象とするという考え方)について

の考え方を採用した場合には,金融機関の確認義務をどう規定するのか問題となる。この点について,上限額を超えた分の金融機関の支払を有効として扱うためには,当該支払を準占有者に対する弁済(民法第478条)として扱うことが考えられるところ,申請者が一定の書面の提出や申出をした場合(例えば,これまで他の金融機関から払戻しを受けていたか否か,また,受けている場合はその額を申告させる。)には当該申告の内容を信じて支払を行ったとしても,民法第478条の「過失」はないものとみなすということが考えられる。しかしながら,このような考え方に対しては,他の共同相続人から上限額を超える払戻しが既にされている旨の通知があった場合には「悪意」となるのではないか,また,仮に悪意にならないとしても,そのような場合にまで金融機関の調査義務を否定することは困難ではないかといった疑問が生じることは否定できない。また,約束手形の善意支払の規律(手形法第40条第3項,第77条第1項第3号)と同様に,悪意又は重大な過失がない限り免責されるとし,悪意の内容を無権利者であることを知っているのみならず,無権利者であることを容易にして確実に立証できる証拠を有している場合であるとすることも考えられなくはない。しかしながら,手形債務者は,自らの挙証責任の負担(裏書の連続ある手形所持人は適法な権利者と推定されるから,その者の無権利は,常に債務者の方で立証することを要する。)の下で,支払を強制される地位にあるところ,十分な立証手段を持たずに単に無権利を知っているだけで支払拒絶しなければならないとすると,債務者は勝訴の見込みがない訴訟に引き込まれる危険を真の権利者のために負わなければならず,支払をする者にとって酷であり,さらに手形取引の円滑を害することから,上記の善意支払の規律が設けられていると説明されているところ,預貯金債権の一部払戻し請求を受けた金融機関には必ずしも同様の説明は当てはまらない(適法な払戻し請求であることを立証する責任は,払戻しを求める者が負うものと考えられる。)ことから,上記の善意支払と同様の規律を設けることにも問題があるといえる。

以上検討してきたとおり,の考え方を採用した場合には,金融機関に一定の調査義務を課すことにつながるが,そうすると裁判所の判断を経ることなく,簡易かつ迅速にごく一部の預貯金の払戻しを受けることを阻害しかねないものと考えられる。

このため,追加試案では,の考え方を採用することとしたものである。

(注5)一人当たりの保有資産・保有口座数について

60歳以上69歳以下の高齢世帯の平均貯蓄金額は2312万円であり,70歳以上の高齢世帯の平均貯蓄金額は2446万円(総務省「家計調査(2人以上の世帯)」平成28年)であり,また,我が国の金融機関における平均口座保有数は約3.5個である(株式会社日本統計センター「金融機関の利用に関する調査」平成23年)という統計データがある。これらのデータを単純に組み合わせると,60歳以上の高齢世帯の配偶者は,本方策により約230万円の払戻しを受けることができ,一般的な葬儀費用(約189万円「葬儀についてのアンケート調査」(第10回,平成25年)(財団法人日本消費者協会)。なお,経済産業省による「特定サービス産業実態調査」(平成21年)によれば,葬祭業者における葬儀1件当たりの売上高は約125万円という統計データもある。)をまかなうことができるものと思われる。

(注6)精算についての考え方

例えば,以下の事例においては,下記のような結論になるものと思われる。

【事例】

 相続人A,B2名(法定相続分は各1/2)

 積極財産 1000万円(預金)のみ

 Aに対する特別受益 1000万円(生前贈与)

 Aが,本方策の規律により,上記預金から50万円の弁済を受けたものとする。

【結論】

 遺産分割の対象財産 950万+50万=1000万円

 Aの具体的相続分 (1000万+1000万)×12―1000万=0

 Bの具体的相続分 (1000万+1000万)×12=1000万

 しかし,実際には950万円しかないので,Bは,預金債権950万とAに対する代償金50万を取得することとすると,審判においては,下記のような主文になると思われる。

 「Bに,預金債権(950万円)を取得させる。

  Aに,(既に支払を受けた)預金債権(50万円)を取得させる。

  Aは,(代償金として)Bに対して50万円を支払え。」

(注7)なお,「後段」の規律に亀甲が付されている意味については,本補足説明43頁(注4)を参照されたい。

3 一部分割

【見直しの要点】

⑴ 共同相続人が,遺産の一部について,協議により分割することができることを明文化するものとする。

⑵ ⑴の協議が調わないとき,又は協議することができないときは,各共同相続人は,他の共同相続人の利益を害するおそれがある場合を除き,家庭裁判所に,遺産の一部について分割をするよう請求することができるものとする。

【説明】

1 見直しの必要性

一部分割については,中間試案においても,遺産の範囲について相続人間で争いがあり,その確定を待っていてはその余の財産の分割が著しく遅延するおそれがあるなど,遺産の一部について先に分割をする必要がある場合において,相当と認めるときは,家庭裁判所は遺産の一部についてのみ分割をする旨の審判をすることができるという提案(以下「従前の案」という。)をしていたところ,従前の案については,一部分割をされた後の残部については分割しない旨の審判をする(却下の審判をする)ことを想定したものであった。しかしながら,従前の案については,本部会で検討を行ったところ,預貯金債権以外の可分債権一般について,これを遺産分割の対象に含めることとしないのであれば,この方策を採用する必要性に乏しいのではないか,遺産分割の申立てがされたにもかかわらず,遺産の一部について分割をせず,当該部分に係る申立てを却下するという制度を設けることの相当性については,当事者の裁判を受ける権利との関係等に照らし,慎重に検討する必要があるのではないかといった指摘がされるなど,消極的な意見が多数を占めた。

一方,遺産分割事件を早期に解決するためには,争いのない遺産について先行して一部分割を行うことが有益であり,また,現在の実務上も,一定の要件の下であれば一部分割も許されるとする見解が一般的であるものの,法文上,一部分割が許容されているか否かは必ずしも明らかとはいえないことから,この機会に一部分割の要件を明確にすべきであるという意見もあることから,本部会においては,従前の案とは異なる観点から,一部分割の要件を明確化する方向で検討を行った。

このように,本方策については,中間試案において提案した一部分割とは,その提案内容が異なっているため,改めてパブリックコメントの手続に付することとしている。

2 見直しの趣旨及び内容

⑴ 規律の対象について

現在の実務上,「一部分割」とされている審判の中には,家事事件手続法第73条第2項に規定する一部審判として行われる一部分割(残余遺産について審判事件が引き続き係属するもの)と,②全部審判として行われている一部分割(残余遺産については審判事件が係属せず,事件が終了するもの)の二類型があり,後者は,更に,審判時点において,分割の対象となる残余遺産の存在が裁判所(及び当事者)に判明していない場合(②-1)と,残余遺産が存在するあるいは存在する可能性があるが,当事者が現時点では残余遺産の分割を希望していないこと等を理由としてその一部のみの分割が行われる場合(②-2)の二種類に分けられるものと考えられる。

そして,①の一部分割については,家庭裁判所が遺産分割の一部について審判をするのに熟していると判断をしたときに,一部分割の審判をすることができるが,その審判の成熟性の判断の中で,一部分割をする必要性と相当性の審査が行われているものと考えられ,特に①の場合を規律するルールを別途設ける必要性は乏しいといえる()。また,②-1の場合については,少なくとも裁判所は他に分割の対象となる遺産はないものと認識をして全部分割の審判をしているのであるから,このような場合をとらえて規律を設けることは困難といえる。

そうすると,②-2の場合について規律を設けることができるかどうかが残る問題であるといえ,本方策は,②-2の場合を規律する提案となる。

(注)①の場合を規律するルールを設けるとした場合には家事事件手続法第73条第2項の一部裁判の特則という位置付けになるが,なぜ家事事件のうち遺産分割においてのみそのような特則を設けるのか慎重な検討を要するとともに,民事訴訟の一部判決(民事訴訟法第243条第2項)における規律との平仄も考慮しなければならないものと思われる。

⑵ 当事者の協議による一部分割(「⑴」)

3 一部分割

民法第907条の規律を次のように改めるものする。

⑴ 共同相続人は,被相続人が遺言で禁じた場合を除き,いつでも,その協議で,遺産の全部又は一部の分割をすることができる。

⑵ 遺産の分割について,共同相続人間に協議が調わないとき,又は協議をすることができないときは,各共同相続人は,その全部又は一部の分割を家庭裁判所に請求することができる。ただし,遺産の一部の分割をすることにより,共同相続人の一人又は数人の利益を害するおそれがあるときは,その請求をすることができない。

共同相続人は,遺産についての処分権限があることから,いつでも,遺産の一部を,残りの遺産から分離独立させて,確定的に分割をすることができるものと考えられる。

」の規律は,現行の民法第907条第1項が,共同相続人は,いつでも,協議で「遺産の分割をすることができる」とあるのを,「遺産の全部又は一部の分割をすることができる」と改め,上記の趣旨を明らかにするものである。

⑶ 家庭裁判所に対する一部分割の請求(「⑵」)

前段」の規律は,遺産分割について共同相続人間の協議が調わない場合に,共同相続人が,遺産の全部分割のみならず,その一部のみの分割を家庭裁判所に求めることができることを明らかにしたものである(注1)。

これは,遺産分割の範囲について,一次的に共同相続人の処分権限を認めるものである。なお,申立人以外の共同相続人が,遺産の全部分割又は当初の申立てとは異なる範囲の一部分割を求めた場合には,遺産分割の対象は,遺産の全部又は拡張された一部の遺産(当初の申立部分に加え,追加された申立部分を含むもの)ということになる(注2)。

また,「後段」の規律は,家庭裁判所が一部分割の審判をできる場合の実質的な要件を定めるものである。

審判によって一部分割をすることができる要件については,一般に,一部分割をすることに合理的な理由があり(一部分割の必要性),かつ,その一部分割によって遺産全体についての適正な分割(具体的相続分と民法第906条の基準に照らした適正公平な分割)が不可能とならない場合(一部分割の許容性)であれば,一部分割をすることできるものと解されている(大阪高決昭和46年12月7日家月25巻1号42頁参照)。そして,一部分割をするのに合理的な理由がある場合とは,ⓐ相続人全員の合意がある場合,ⓑ一部の遺産の評価について争いがあり,その審理に長期間を要する場合,ⓒ全部分割として遺産分割がされた後に,他の遺産の存在が判明した場合,ⓓ分割を禁止された遺産を除いたその余の遺産を分割する場合などが,これに当たるものと言われているが,ⓑの場合に一部分割をするというのは,前記⑴の①の一部分割をする場合であり,ⓒ及びⓓの場合に一部分割をするというのは,前記⑴の②―1の一部分割又は全部分割そのものに該当するものと思われ,残るのはⓐ遺産の一部について分割をすることにつき相続人全員の合意がある場合ということになる。そして,上記のとおり,申立人以外の共同相続人が,当初の申立とは異なる範囲の一部分割を求めた場合には,遺産分割の対象は,遺産の全部又は拡張された一部の遺産(当初の申立部分に加え,追加された申立部分を含むもの)ということになるから,結局,当事者全員が申立てに係る一部の遺産について分割を求めているということは,遺産分割を求めている範囲の上限については当事者全員に異論がないということになる(注3)。このように考えると,一部分割の必要性については,家庭裁判所が一部分割の審判をする場合の要件として特に明文化する必要はないものと考えられる。

一方,一部分割の許容性については,上記のとおり一般には一部分割によって遺産全体についての適正な分割が不可能にならない場合に許容されるものと解されており,具体的には,特別受益等について検討し,代償金,換価等の分割方法をも検討した上で,最終的に適正な分割を達成し得るという明確な見通しが得られた場合に許容されるものと考えられ,一部分割においては具体的相続分を超過する遺産を取得させることとなるおそれがある場合であっても,残部分割の際に当該遺産を取得する相続人が代償金を支払うことが確実視されるような場合であれば,一部分割を行うことも可能であると考えられる。

そして,このような観点で検討しても,一部分割をすることによって,最終的に適正な分割を達成し得るという明確な見通しが立たない場合には,当事者が遺産の一部について分割をすることを合意したとしても,家庭裁判所は一部分割の審判をするのは相当ではなく,当該一部分割の請求は不適法であるとして,却下するのが相当であるといえる。

そこで,当事者から一部分割の請求があった場合においても,遺産の一部について分割をすることにより,共同相続人の一人又は数人の利益を害するおそれがあるときは,一部分割の請求を不適法とし,家庭裁判所は,その請求を却下しなければならないこととしている(注4)。

これは,遺産分割の範囲について,一次的には当事者の処分権を認めつつも,それによって適正な遺産分割が実現できない場合には,家庭裁判所の後見的な役割を優先させ,当事者の処分権を認めないという考えに基づくものである。

⑷ 当部会において示された懸念点

本方策については,①共同相続人の請求によって一部の遺産分割審判を複数回繰り返す場合には,そのたびに,特別受益や寄与分を含め,全部の遺産分割を行うのに必要な事項を全て審理・判断する必要が生じるところ,これらの判断に既判力が認められないことから,それぞれの遺産分割審判ごとに各事項の判断が食い違い,法律関係が複雑化するおそれがある,また,②共同相続人に一部分割審判の請求を認めると,当事者が関心のある財産のみを分割し,その余の経済的価値の低い不動産(例えば,利用価値の低い山林や長期間空き家になっている家屋など)は未分割のまま放置されることが増加し,その結果として,所有者の把握が難しい不動産が増えるなどの社会的費用が生じるおそれがあるという懸念も指摘されている。

もっとも,上記①の点については,民事訴訟においては一部請求が当然に認められているところ,判断が裁判所ごとに異なるおそれがあるという問題点は民事訴訟における一部請求においても存在している問題であり,一部分割の請求における固有の問題とはいえないように思われる。また,上記②の点については,その懸念も踏まえて本部会において,「ただし書」の規律を公益的な観点から一部分割の請求を認めない場合も含められるような要件設定にすることができないか検討が行われた。しかしながら,現行民法では,共同相続人は,「いつでも,その協議で,遺産の分割をすることができる」(第907条第1項)こととされており,遺産分割をするか否かは共同相続人の任意の判断に委ねられ,特に公益的な観点から遺産分割協議をすべき時的限界等は設けられていないところ,当事者が遺産分割をすることとした場合には公益的な観点を考慮して「全部分割すべき」と考えることができるのか,理論的に問題があるように思われる。そもそも相続開始により,価値の低い財産も含めて,遺産は共同相続人による共有となるし,また,遺産分割協議で当該財産を共同相続人による共有とすると決めた場合も同様であって,一部分割の請求を明文上認めることが,必ずしも所有者の把握が難しい不動産が増えることになるという論理的な関係にはないように思われる(もっとも,一部分割の請求をすることができるということを明文化することによって,これまで一部分割をすることができることを知らなかった当事者が,一部分割を活用し,価値の低い財産が放置されることが増えるという弊害が生ずる可能性は否定できない。)。

(注1)家事審判の申立てにおいては,申立ての趣旨及び理由を特定して申立てをする必要があるが(家事事件手続法第49条第2項第1号),審判を求める事項の特定について,具体的にどの程度の詳細さが求められるかは,条文上明らかにされておらず,解釈に委ねられているものと解されている。そして,遺産分割については,「遺産分割を求める。」という記載があれば申立ての趣旨の特定性は満たされていると考えられてきたが,本提案のような規律を採用すると,一部分割の申立てをする場合には,「別紙遺産全体目録中,○番及び○番の遺産の分割を求める。」というように,分割を求める遺産の範囲を特定すべきということになるものと考えられる(なお,遺産全部について分割を求める場合は,これまでどおり「遺産分割を求める。」ということのみで,申立てとしては特定していると考えることもできるように思われる。)。

(注2)一部分割の申立てと全部分割の申立てが重複した場合には,前者の申立てについては後者の申立てに包含されることから,前者の申立てについては申立ての利益がなくなったとみるか,後者の申立てについては重複しない部分に限り申立ての利益があるとみるかはともかくとして,いずれにしても,遺産の全部が審判の対象になるものと考えられる。なお,例えば,相続人Aが遺産甲の分割を,相続人Bが遺産乙の分割をそれぞれ求めた場合には,包含関係にないことから,いずれの申立ても適法として,裁判所は,遺産甲及び乙の分割をそれぞれ行うことになるものと考えられる(通常は併合して審理することになるものと思われる。)。

(注3)なお,一部の共同相続人が一部分割を求めているのに対し,他の共同相続人があくまで協議による分割を求め,あるいは,より小さい範囲の遺産の分割を求めるということもあり得るところであり,このような観点からみると,全ての共同相続人が申立てに係る一部の遺産について分割をすることについて異論がないとはいえない。もっとも,共同相続人は,いつでも遺産の分割をすることができるものとされ(民法第907条第1項),遺産の分割をしたくないという希望は必ずしも法律上保障されているとはいえないこと(裁判所が,特別の事由があるときに,分割の禁止をすることができるとされているに過ぎない(同条第3項)。)からすると,分割をしたくない又はより小さい範囲で分割をしたいという当事者がいるとしても,その希望は必ずしも法律上保護されるべき利益とはいえないものと考えられる。

(注4)裁判所としては,一部分割をすることにより,共同相続人の一人又は数人の利益を害すると認めるときは,直ちに却下するのではなく,釈明権を行使して,当事者に申立ての範囲を拡張しないのか否か確認をするという運用になるものと思われる。

4 相続開始後の共同相続人による財産処分

【見直しの要点】
共同相続人の一人が遺産分割前に遺産に属する財産を処分した場合に,処分をしなかった場合と比べて取得額が増えるといった不公平が生ずることがないよう,これを是正する方策を設けるものとする。
この点について,追加試案においては,遺産分割の時点で処分された財産が遺産としてなお存在するものとみなし,これを含めて遺産分割をすることができるようにする【甲案】と,財産処分がされた結果,処分がなかった場合よりも遺産分割における取得額が減少した相続人がいる場合に,当該相続人が処分を行った相続人に対して,民事訴訟においてその差額を請求することができるようにする【乙案】の2案を示している。
【説明】

1 見直しの必要性

共同相続された相続財産については,原則として遺産共有となるところ(民法第898条),その共有状態の解消については,法は遺産分割の手続によることを想定しており(同法第907条),遺産分割の手続においては,同法第903条同法第904条の2によって修正される場合も含む。)の規定によって算定される具体的相続分を基準として各相続人に遺産を分割することとされている。

一方,現行法上,遺産共有となった遺産については,共同相続人がその共有持分を処分することは禁じられていないが,処分がされた場合に遺産分割においてどのように処理すべきかについては明文の規定はなく,また,明確にこれに言及した判例も見当たらない(注1)。

遺産分割は分割の時に実際に存在する財産を分配する手続であるという伝統的な考え方によれば,共同相続人の一人が遺産分割の前に遺産の一部を処分した場合には,遺産分割の当事者が当該処分された財産も遺産分割の対象とする旨の合意をした場合を除き(注2),当該処分された財産を除いた遺産を基準に遺産分割をすべきこととなるが,そうすると,当該処分をした者の最終的な取得額が,処分が行われなかった場合と比べて大きくなり,その反面,他の共同相続人の遺産分割における取得額が小さくなるという計算上の不公平が生じることとなる(注3)(注4)。この場合,当該処分を行った共同相続人の一人は,遺産共有となった自らの持分(又は持分相当額)を処分しているにすぎないため,不法行為も不当利得も成立しないという考え方が有力であり,民事訴訟における救済も困難と思われる。このように,遺産分割の前に共同相続人の一人により遺産の処分が行われたことにより,本来,法が予定する遺産分割の手続によれば取得できた財産の価額よりも,当該処分した者がより多くの財産を取得できることとなる(その反面,他の共同相続人の取得額が少なくなる)が,このことを正当化することは困難であるものと考えられる。

特に前記「2・⑴」【説明】1(本補足説明12頁)のとおり,本決定により預貯金債権は遺産分割の対象に含まれるとの判断がされたところ,本決定前は,預貯金債権は原則として法定相続分で分割されることとなる結果,共同相続人の一人がその法定相続分に相当する額の払戻しをしたとしても,それはそもそも遺産ではなかったのであるから,これを含めた計算において不公平が生じたとしたやむを得ないと考えることができたとしても,本決定後は,預貯金債権が遺産分割の対象とされ,これを含めて公平かつ公正な遺産分割をするのが法の要請であるといえることからすると,共同相続人の一人が,遺産分割前に預貯金を処分したことにより,処分がなかった場合と比べて利得をするということを正当化することは相当に困難であるものと考えられる。本決定により,共同相続人は,単独での預貯金の払戻しをすることができないこととなるため,今まで以上に共同相続人の一部の者による口座凍結前の預金払戻しが増える可能性があり,決して看過することのできない問題であると考えられる(注5)。さらに,「第2・2・⑵」のとおり,相続された預貯金について家庭裁判所の判断を経ないでその払戻しを認める方策についても検討をしているところ,この方策に基づく適法な払戻しであれば当該権利行使をした者は遺産分割において精算を義務付けられるのに対し,この方策に基づかずに払戻しを受けた場合については精算を義務付けられず不公平な結果が生ずることを是認することは,結果の具体的妥当性等の観点から極めて困難であるといえる。

なお,預貯金債権については,本決定により遺産分割の対象財産となるとともに,共同相続人の一人による単独での権利行使も禁じられることになったものと考えられ,そうすると,共同相続人の一人によって預貯金の払戻しが行われることは違法であり,他の共同相続人は不法行為に基づく損害賠償請求をすることができると解する余地もあり得なくはない。この場合にも,具体的相続分を前提として権利侵害又は損害を評価することができるということであれば,結果的に計算上の不公平を是正することができるが,具体的相続分に権利性がないとしている判例との整合性から,現行法の解釈としては困難ではないかと思われる。他方,本部会においては,現行法の解釈としても,民法第709条の「法律上保護される利益」の解釈を柔軟にすることによって対応できるのではないか,【甲案】及び【乙案】のいずれにも後記の懸念点があることも踏まえ,この点については解釈に委ねることとし,【甲案】も【乙案】も設けるべきではないのではないかという意見も出された。

しかしながら,現行法の解釈として,規律を設けずとも【乙案】の規律と同様の結果を実現できるということが確実な状況であれば格別,そうとはいえない以上は何らの規律も設ける必要はないとはいえないように思われる。そこで,本部会では,相続開始後に共同相続人により財産処分が行われた場合に生ずる不公平を是正する方策について,検討を行った。

(注1)学説上も,持分譲渡の対価についても代償財産として遺産分割の対象とすべきという見解や,一部分割がされたのと同様に,当該遺産を取得したこととして,その具体的相続分を算定すべきである(場合によっては代償金支払などの問題が生じる。)という見解もある一方で,遺産分割は,相続開始時に存在し,かつ,現存する遺産を対象とする手続であることから,相続開始の前後に,一部の相続人が,無断で第三者に遺産である不動産を売却して代金を隠匿したり,無断で被相続人名義の預金口座から預貯金の払戻しを受けたりしたとしても,そのようなものは,遺産分割の対象となる遺産の範囲には属さないし,遺産分割事件における分割審理の対象とはならない,これらは,不法行為又は不当利得の問題として民事訴訟により解決されるべき問題である,ただし,相続人がその事実を認め,現存遺産に含めて分割の対象とすることに合意すれば,その相続人が処分した預貯金等を取得したものとして処理することが可能となるにすぎないなどと論じる見解もあり,定説もない状況である。

(注2)判例タイムズ1418号5頁以下の「東京家庭裁判所家事第五部における遺産分割事件の運用―家事事件手続法の趣旨を踏まえ,法的枠組みの説明をわかりやすく行い,適正な解決に導く手続進行―」(小田正二ほか5名)によれば,全当事者の合意があることを前提として,①ある当事者が預金を既に取得したものとして相続分・具体的取得金額を計算する,②ある当事者が(払い戻した預金である)一定額の現金を保管しているとして,これを分割対象財産とする,③払い戻した預金が被相続人からの贈与と認められるとして,当該当事者に同額の特別受益があるとの前提で具体的相続分を計算することになるものとされている。全当事者の合意があるという点で追加試案において検討している状況とはもちろん異なるものの,②の考え方は,計算上【甲案】と同じ結果になる一方,③の考え方によると超過特別受益がある場合には対応することができないことになる(なお,①の考え方については,超過特別受益が生じている場合にその超過分を返還させるのか(代償金債務を負わせるのか)によって,②の考え方と同じ帰結になるのか,③の考え方と同じ帰結になるのかが決まるように思われる。)。

また,同文献には当事者説明用の分かりやすいポンチ絵が掲載されているところ,(資料3-2)では,当事者間に合意ができない場合には,「使途不明金」として「民事訴訟で解決」することとされているが,本文にも記載のとおり,共同相続人の一人が相続開始によって生じた(暫定的な)共有持分を処分した場合には,一般に,不法行為又は不当利得は成立しないと考えられており,このような考え方によれば,当該処分により損失を被った他の共同相続人には救済手段がないこととなる。

(注3)具体例1

【事例1】

相続人A,B,C3名(法定相続分1/3 ずつ)

遺産   1400万円分(500万円分(不動産甲)+900万円分(不動産乙))

特別受益 Aに対して生前贈与400万円

Aが相続開始後に不動産乙の持分1/3(300万円分)を第三者に譲渡した場合の,A〜Cの遺産分割における取得額を検討する。

【計算1】

(① Aの処分がなかったとした場合の計算)

Aの具体的相続分 (1400万+400万)×1/3―400万=200万

B及びCの具体的相続分 (1400万+400万)×13=600万

したがって,遺産分割において,Aは200万円分(特別受益400万と併せて600万円分),B及びCは各600万円分の財産を取得することができる。

(② 現行法の考え方1)

前記(注1)のとおり,現行法の下における一般的な考え方は必ずしも明らかではなく,定説もないようではあるが,遺産分割は分割の時に実際に存在する財産を分配する手続であり,かつ,具体的相続分については,民法第903条第1項が「相続開始の時において有した財産の価額」としていることから,相続開始時の財産を基準に算定すべきであり,また,処分された財産については,同項の特別受益には文言上当たらないという考え方を前提に計算すると,

具体的相続分の計算については,上記①と同じであり,

これを前提として,遺産分割時に存在する遺産(1100万円分)を分配すると,

   Aは, 1100万×(200万/(600万+600万+200万))=157万円

B及びCは, 1100万×(600万/(600万+600万+200万))=471万円

となり,結局,最終的な取得分は,

A 400万+300万+157万=857万円分

B及びC 471万円分

となり,不動産乙の持分を処分したAが処分をしなかった場合と比べて取得額が大きくなる(その分,B及びCの取得額が減る。)。

(②’ 現行法の考え方2)

また,上記(② 現行法の考え方1)とは異なり,処分された財産については,民法第903条第1項の「特別受益」に準じて同項の規定を類推適用するという考え方もあり得る。

この場合には,

Aの具体的相続分 (1400万+400万)×1/3―400万―300万<0

B及びCの具体的相続分 (1400万+400万)×1/3=600万

となり,これを前提として遺産分割時に存在する遺産(1100万円分)を分配すると,

B及びCは 550万円分ずつ取得することができ(Aの遺産分割における取得額は0円であるが,特別受益及び不動産の持分処分を併せて700万円分の財産を取得することができることになる。),②の場合と比べてAの取得額は小さくなるが,①の場合と比べると,Aの取得額は大きくなる。このように超過特別受益が生じる場合については,Aに超過分の精算を命じることはできないから,処分した持分を特別受益と考えて計算の対象に入れたとしても,不公平は解消されないことになる。

(②’’ 現行法の考え方3)

また,共同相続人が分割前の遺産を共同所有する法律関係は,基本的には民法第249条以下に規定する共有としての性質を有しており,遺産分割手続は相続人間の共有関係を解消する手続であることからすると,遺産の中に各相続人の共有持分の割合が法定相続分とは異なるものが含まれている場合には,下記のとおり,その遺産に限り,その共有持分の割合を前提として当該遺産における取得額を計算した上で,特別受益に関する調整等をして具体的相続分を算定するという考え方もあり得るように思われる。

⑴ 不動産乙

Aは,持分1/3を処分しているから,不動産乙に占めるA,B,Cの(暫定的な)共有持分は,0:1/3:1/3=0:1:1,となる。

⑵ 具体的相続分の計算

Aの具体的相続分

〔400万(特別受益分)+500万(不動産甲)〕×1/3+600万(遺産分割の対象となる不動産乙の残余部分の価額)×(0/(0+1+1))(不動産乙の残余部分に占めるAの持分割合)―400万(特別受益)<0

B及びCの具体的相続分

(400万+500万)×1/3+600万×(1/(0+1+1))(不動産乙の残余部分に占めるB又はCの持分割合)=600万

⑶ 遺産分割における具体的な取得額

残余遺産は,1100万円分であるから,上記⑶で求めた具体的相続分に応じて分配すると,

B及びCは各550万円分取得することができ(Aの遺産分割における取得額は0円であるが,特別受益及び不動産の持分処分を併せて700万円分の財産を取得することができることになる。),②の場合と比べてAの取得額は小さくなるが,①の場合と比べると,Aの取得額は大きくなる。

なお,上記⑶の計算は,Aの具体的相続分の計算に当たり,Aが処分した分を加算しないという取扱いをするに過ぎないから,Aが処分した分をAの特別受益として扱うという上記(②’ 現行法の考え方2)と計算結果は同じとなる。そうすると,Aに超過特別受益が生じる(この事例の場合,Aの特別受益の合計額は700万円となる。)場合には,超過分の精算を命じられないことから,いずれにせよ不公平が生じることとなる。

(注4)具体例2

【事例2】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円分(1000万(預金)+400万円分(不動産))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが相続開始後に密かに500万円を払戻した場合(準占有者に対する弁済として有効であることを前提とする。),A及びBの遺産分割等における取得額はいくらか。

【計算2】

(① Aの出金がなかったとした場合の計算)

Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

Bの具体的相続分  1200万

したがって,遺産分割において,Aは200万円分の財産(特別受益を含めると1200万円分),Bは1200万円分の財産を取得することができる。

(② 現行法の考え方)

具体的相続分の計算は,【事例1】と同じ。したがって,Aの具体的相続分は200万,Bの具体的相続分は1200万となる(なお,預貯金の払戻しについても,上記(注3)と同様に現行法の解釈としては複数の考え方があり得るが,ここでは上記(注3)(② 現行法の考え方1)を前提に計算している。)。

遺産分割時の遺産(900万)を具体的相続分で割付けをすると,

Aは, 900万×(200万/(1200万+200万))=129万

Bは, 900万×(1200万/(1200万+200万))=771万

となり,結局,最終的な取得分は,

A 1000万+500万+129万=1629万円分

B 771万円分

となり,不当な払戻しをしたAが払戻しをしなかった場合と比べて得をすることになる。

(注5)本決定前においても,特別受益のある者が不動産の持分を処分した場合には,同様の問題が生じ得たものと考えられるが,不動産の持分が処分されたようなケースにおいては,誰が処分をしたのか登記上明らかであることから,当該処分をした相続人の同意を得て,当該処分された持分も含めて遺産分割の対象とするということが比較的容易であったものと考えられ,問題が顕在化することは少なかったのではないかと考えられる。

2 見直しの趣旨及び内容

⑴ 【甲案】について

⑴ 【甲案】(遺産分割案)

共同相続人の一人が遺産の分割前に遺産に属する財産を処分したときは,当該処分をした財産については,遺産分割の時において遺産としてなお存在するものとみなす。

ア 基本的な考え方

【甲案】は,共同相続人の一人が,遺産分割が終了するまでの間に,遺産に属する財産を処分し,当該財産が遺産から逸出した場合であっても,遺産分割の時においてなお存在するものとみなして,遺産分割を行うことを可能とするものである。

なお,このような規律を設ける根拠としては,「2・⑵後段」に関する説明(本補足説明19頁)がほぼ妥当する。すなわち,共同相続人の一人が,遺産共有となっている財産を処分したことにより,そのような処分がなければ取得できた以上の財産を取得できることになるのは相続人間の公平を害することから,当該処分をした者に遺産分割において精算の義務を課したとしても,特段当該相続人に過大な負担を課すとか,不利益を課すということにはならないといえる。また,理論構成としても,本来は遺産分割の対象ではないものについても当事者の合意がある場合には遺産分割の対象に含めることができるところ,上記のような場合には,当該権利行使をした者が,当該権利行使をした財産も含めて遺産分割の対象とする旨の同意をしたものとみなすことが可能であり,また,他の共同相続人にとっても当該権利行使をした財産も含めて遺産分割の対象とした方がより多くの財産を取得することができるようになることから,当事者全員の同意があった場合に準じて,「遺産分割の時において遺産としてなお存在するものとみなす」ことが可能であるものと考えられる(注1)(注2)(注3)(注4)。

イ 本部会で示された懸念点

他方,【甲案】については,本部会において,①共同相続人が処分したか否かが審理の対象となるため紛争が長期化・複雑化するおそれがある,②処分された財産についても「遺産」とみなすため,【甲案】では,審判において処分された遺産の帰属についても主文として掲げられることが想定されているが,既に処分がされた財産も遺産分割の対象財産に含めることとし,これを主文に掲げることは,国民にとって分かりにくいのではないか,③一般に,審判には既判力がないこととされているため,共同相続人の一人による財産処分について家庭裁判所が本規律を適用して遺産分割の審判をしたが,事後的に別の共同相続人や第三者が処分をしたことが明らかになった場合には,当初の遺産分割の効果が覆るおそれがあるのではないか,④審判手続においては,民事訴訟とは異なり,証人尋問等を経て事実認定をし,かつ,真偽不明の場合に証明責任で解決するという構造にはなっていないのではないかなどの懸念点が示されたところであり,慎重な検討を求める意見も強いところである。

しかし,これらの懸念については,次のように考えることもできる。

(ア) 上記の点について

確かに,遺産分割の審判における新たな争点となるものであり,それに伴い紛争が長期化・複雑化するおそれがあることは否定することができないが,相続人の具体的相続分を算定する上で前提となる特別受益の有無・額については,数十年前の古い贈与であっても,当事者の主張立証を経て家庭裁判所が認定しており,それと比べても,相続開始後に共同相続人によって預貯金を含む遺産が処分されたか否かという事実認定が特段に難しい判断を伴うものとも思われない(預貯金の払戻しが窓口で行われた場合には,払戻しの手続を行った際の書類等を見れば誰が払戻しをしたか分かるケースも多いし,また,キャッシュカードを用いて自動預払機から現金を払い戻したケースについては当該キャッシュカードの保管状況等について事実の調査や証拠調べをすること等により,誰が払戻しをしたか推認することができる場合も相当数あるように思われる。)。

(イ) 上記の点について

遺産分割の時点で現に存在しない財産も含めて,遺産分割審判の主文で掲げることになるという点については,現行法上も存在する問題である。すなわち,現行法の下においても,家事事件手続法第200条第2項の仮分割の仮処分がされた場合には,本分割において,仮払いにより仮に取得することとされた預貯金債権についても改めて分割をする旨の審判をすることになるものと考えられ,この理は,仮分割の仮処分により取得するものとされ,これにより払い戻された預貯金が遺産分割時には既に費消されていたとしても変わらないものと考えられる。このように,遺産分割時に既に存在しないものを主文で掲げるということは,現行法の下においてもあり得る問題であり,例えば,「相続人Aに,既に取得した預金200万円を取得させる。」,「相続人Aに,既に第三者に譲渡した不動産甲の持分2分の1を取得させる。」といった形で主文の内容を工夫することにより,国民にとって分かりやすい裁判を実現することも可能ではないかと思われる。

(ウ) 上記の点について

まず,共同相続人Aが処分したものとして遺産分割審判を行ったところ,その後共同相続人Bが処分したことが判明した場合については,共同相続人の一人によって,遺産の一部が処分されたことには変わりはないので,本方策の規律の適用はあるものと考えられる。したがって,本方策の規律に基づき,遺産分割における取得額の計算をすることには変わりはないものと思われる。ところで,本方策の規律に基づく処理を行い,例えば,「相続人Aに,既に取得した預金200万円を取得させる。」旨の審判をしたが,このAに取得させるとされた預金200万円は,AではなくBが払い戻したことが事後的に判明した場合には,Aは,Bに対して,200万円の不当利得返還請求権を取得することとなり,これは,別途訴訟において請求することができるものと考えられる(Aが払い戻したという家庭裁判所の判断には,既判力はない。)。

一方,共同相続人ではなく,第三者が遺産の一部を処分していた場合については,本方策の規律の適用はないこととなり,第三者が処分した財産については,遺産分割の対象財産ではなかったこととなる。この場合の遺産分割の効果については,遺産分割を行ったがその分割対象財産に遺産ではないものが含まれていた場合と同様であり(現行法上もある問題である。),基本的には,遺産分割の有効性には影響を与えず,民法第911条の担保責任の問題として処理されるものと考えられる(名古屋高決平成10年10月13日家月51巻4号87頁。なお,この点については,遺産分割の審判における事実認定が誤っていた場合にも,民法第911条が適用されるかどうかについては,最高裁の判例もなく明らかでないとの再反論がされた。)。

また,当該処分された財産が遺産の大半を占めている場合には遺産分割審判が事後的に覆る可能性がないとはいえないため,当該処分された財産が共同相続人の一人によって処分されたのか,第三者によって処分されたのか争いがあり,これが遺産のかなりの割合を占めているような場合には,みなし遺産であることの確認を求める訴えを経た上で遺産分割審判をすることになるものと思われるが,その場合,上記で指摘されている遺産を巡る紛争の長期化・複雑化の程度は大きくなるが,他方で,そのような事案については,本規律を適用すべき必要性が特に高いといえるのであるから,当事者等にそのような負担が生じてもやむを得ないものと考えられる(これに対しては,みなし遺産であることの確認訴訟という新たな訴訟類型が生ずることを想定してまで,見直しをする必要があるのかといった再反論がされた。)。

(エ) 上記の点について

家事審判においても民事訴訟と同様に三審制が保障されており(家事事件手続法第85条から第98条まで),また民事訴訟法の証拠調べ手続の規定が基本的には準用されるものとされており(同法第64第1項),必要に応じて宣誓をさせた上で証人尋問・当事者尋問を行うことができるなど,適正な事実認定を行うことができる仕組みが整えられている(これに対しては,家事審判においては,既判力がないこともあり,現実には証人尋問等はあまり行われておらず,このような家庭裁判所の実務を大きく変えることにつながるものであるとの指摘もされた。)し,家事事件においても客観的な証明責任は観念することができるものと考えられる。

(注1)具体例1

【事例1】

相続人A,B,C3名(法定相続分1/3 ずつ)

遺産   1400万円分(500万円分(不動産甲)+900万円分(不動産乙))

特別受益 Aに対して生前贈与400万円

Aが相続開始後に不動産乙の持分1/3(300万円分)を第三者に譲渡した場合の,A〜Cの遺産分割における取得額を検討する。

前記1(注3)と同じ【事例1】において,本方策を適用した場合には,下記のような結論となるものと考えられる。

具体的相続分の計算は,前記【事例1】と同じで,Aの具体的相続分は200万,B及びCの具体的相続分は600万となる。

また,相続開始後に処分した持分についても,遺産分割の対象財産に含め,計算をするので,遺産分割における取得額も,上記の具体的相続分の価額と同額となる。

→具体的な審判としては,例えば以下のとおりになるものと思われる。

 (例)

「Aに,(既に取得した)不動産乙の持分1/3(300万円分)を取得させる。

 Bに,不動産乙の持分2/3(600万円分)を取得させる。

 Cに,不動産甲(500万円)を取得させる。

 Aは,Cに対し,代償金100万円を支払え。」

→最終的な取得分は,A,B,Cとも各600万円となり,公平な遺産分割が実現できる。

(注2)具体例2

【事例2】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円分(1000万(預金)+400万円分(不動産))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが相続開始後に密かに500万円を払戻した場合(準占有者に対する弁済として有効であることを前提とする。),A及びBの遺産分割等における取得額はいくらか。

前記1(注4)と同じ【事例2】において,本方策を適用した場合には,下記のような結論となるものと考えられる。

具体的相続分の計算は,前記【事例2】と同じで,Aの具体的相続分は200万,Bの具体的相続分は1200万となる。

また,相続開始後の出金についても,遺産分割の対象財産に含め計算をするので,遺産分割における取得額も,上記の具体的相続分と同額となる。

具体的な審判としては,例えば以下のようになる(遺産分割審判において,代償金債務が生じるようにする。)ものと考えられる。

(案)

「Aに,(既に取得した)預金500万円を取得させる。

 Bに,不動産(400万円分)及び預金500万円を取得させる。

 Aは,Bに対し,代償金として300万円を支払え。」

(注3)本方策は,共同相続人の一人が,遺産の全部又は一部を処分した場合の規律であることから,共同相続人以外の者が遺産を処分した場合については適用の対象とならない。したがって,相続開始後に遺産を誰が処分したか分からないといったケースでは本方策の規律は適用されず,遺産分割は残余の財産で行えば足りることとなる。

(注4)「2・⑵後段」(精算を義務付ける規定)と「4」の規律との関係について

」において【甲案】を採用した場合には,「2・⑵後段」の規律は不要となるが(その意味で「2・⑵後段」は〔 〕が付されている。),「4」において【乙案】を採用した場合には,「2・⑵」の払戻しを受けた場合の特例(払戻しを受けた者及びその額が客観的に明らかである。)として「2・⑵後段」の規律を設けるということが考えられる。

ア 不動産の共有持分について売却された場合

共同相続人の一人が不動産の共有持分を第三者に譲渡した場合についても,本方策の規律は適用される(注1)。

すなわち,共同相続人の一人が不動産の共有持分を第三者に譲渡した場合については,当該共有持分については遺産から逸出することになるが(最判昭和50年11月7日民集29巻10号1525頁参照),本方策によれば,当該譲渡された持分についても遺産分割の対象とし,遺産分割の中で,精算をすることになる(注2)。

なお,精算を義務付けるとしても,本方策とは異なり,遺産分割に含めるべき財産を,当該譲渡された持分ではなく,当該譲渡により得た売却代金(代償財産)とするということも考えられなくはない(注3)。しかしながら,当該譲渡が無償である場合も考えられるし,また,有償であるとしても相当な対価を得ていない場合には,その損失を他の共同相続人が被ることになり相当ではないと考えられる。したがって,本方策のとおり,精算を義務付ける場合には,その代償財産ではなく,当該権利行使をした財産について遺産分割の対象とするのが相当であると考えられる。

(注1)不動産の持分を処分した場合についても,本方策の規律を適用しないと,計算上の不公平が生じうることについては,前記1(注3)具体例1において示したとおりである。

(注2)具体例

【事例】

相続人A,Bの2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産 1400万円(400万円分(不動産)+1000万(預金))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが相続開始後に不動産の共有持分1/2を第三者に売却した場合,A及びBは,遺産分割等において,いくら取得できるか。

【計算】

Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

Bの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2=1200万

遺産分割の対象財産については,本方策を適用すれば相続開始後に処分された不動産の共有持分も含めて計算をすることになるので,

1200万円(残余)+200万円(処分した持分の価額)=1400万円

となる。

→ 具体的な審判としては,下記のとおりになるものと思われる。

(案)

「Aに,(既に第三者に譲渡した)不動産の持分1/2(200万円分)を取得させる。

 Bに,不動産の持分1/2(200万円分)及び預金1000万円を取得させる。」

(注3)なお,最判昭和54年2月22日家月32巻1号149頁は,共有持分権を有する共同相続人全員によって売却された不動産は遺産分割の対象たる相続財産から逸出するととともに,その売却代金は,これを一括して共同相続人の一人に保管させて遺産分割の対象に含める合意をするなどの特別の事情がない限り,相続財産には加えられず,共同相続人が各持分に応じて個々にこれを分割すべきものと判示しているが,上記最判のように共同相続人全員の同意によって遺産に含まれていた不動産を売却した場合については,本方策の規律は及ばないと整理している(本方策の規律は,あくまで共同相続人の一人が,他の共同相続人の同意を得ずに,遺産共有となっていた財産を処分した場合を対象としている。)。

また,共同相続人の一人が遺産に含まれていた不動産を売却し,共同相続人全員が代償財産(売却代金)を遺産分割の対象とする旨合意した場合には,当該合意の効果として,遺産分割の対象が当該不動産から売却代金に変更されたと考えることができるように思われる。

イ 不動産の共有持分が差し押えられた場合

遺産に属する不動産の共有持分が,相続債権者又は相続人の債権者によって差し押さえられた場合には,債務者による不動産の処分行為が禁止されることになり,当該差押えを受けた共有持分を含めた遺産分割を行うことはできなくなり,実質的には遺産から逸失することとなるとも考えられなくはない。そして,共有持分の差押え及び競売等により利益を受けるのは,その差押えを受けた共同相続人の一人であり,他の共同相続人がその結果により遺産分割において損失を被る理由がないことは,前記同様であって,差押えを受けた共有持分についても遺産に含めて計算をする旨の規律を設け,遺産分割において実質的に精算する義務を課すことも考えられなくはない。

もっとも,差押えの処分禁止効については相対的な効力を有するに過ぎないと解されており,また,所有権移転の効果は,売却許可決定確定後代金納付時に生じる(民事執行法第79条)ことから,遺産から逸出するのは,その時と考えられる。このように考えると,共有持分につき差押えがあったとしても,遺産から未だ逸出はしておらず,差押えされた持分も含めて遺産分割をすればよく,また,売却決定がされ代金が納付された場合には本方策の規律を適用又は類推適用することにより処理することもできるように思われる(注)。

(注)具体例

【事例】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円(400万円分(不動産)+1000万(預金))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

相続開始後に,Aの債権者が,不動産につき相続を原因として法定相続分に応じた共有持分(1/2)の登記を経た上,その持分につき差押えをした。

A及びBは,遺産分割等において,いくら取得できるか。

【計算】

Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

Bの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2=1200万

不動産の共有持分については差押えを受けたとしても,遺産から逸失しておらず,不動産の共有持分についても,遺産分割の対象財産に含め,計算をする。

 → 具体的な審判としては,下記のとおりになるものと思われる。

(案)

「Aに,(差押えを受けた)不動産の持分1/2(200万円分)を取得させる。

 Bに,不動産の持分1/2(200万円分)及び預金1000万円を取得させる。」

なお,差押え債権者が申立てを取り下げた場合など差押えの効果が解除された場合には,

「Aに預金200万円を取得させる。

 Bに不動産(400万円分)及び預金800万円を取得させる。」

という審判も可能となるように思われる。

ウ 共同相続人の一人によって,その共有持分を超える財産処分が行われた場合について

本方策は,前記のとおり,共同相続人の一人が,「遺産の全部又は一部を処分した」場合を対象とするものであるが,自己の共有持分を超えて財産処分をし,遺産から当該財産を逸失させた場合についても適用されることになる。なお,共同相続人の一人によってその共有持分を超える財産処分がされた場合には,その超過部分については,原則として無権限者による処分として権利移転の効力が生じないため(最判昭和38年2月22日民集17巻1号235頁参照),本方策の規律を適用するまでもなく,なお遺産として存在することになるものと思われるが,即時取得(民法第192条)や準占有者に対する弁済(民法第478条)等によって自己の共有持分を超える処分が有効となる場合があり得る(例えば,共同相続人の一人が,口座凍結前に預貯金の払戻しをキャッシュカードを用いて行った場合が典型的なケースである。)。このような場合については,本方策の規律が適用されることとなる(なお,前述の各事例においては,問題状況を区別するため,あくまで相続開始によって生じた暫定的な法定相続分率による持分(又は持分相当分)を処分した場合について検討をしている。)。

ところで,共同相続人の一人が遺産を処分した場合の規律を設けるとしても,上記のような方策を採用するのではなく,自己の(暫定的な)持分を処分した場合に限るべき(それ以上の持分処分の場合は,不法行為又は不当利得による処理に委ねるべき)という考え方(以下「別案」という。)もあり得なくはない。すなわち,共同相続人の一人によって,他の共同相続人の同意なくして,自己の共有持分以上の財産処分が行われた場合については,他の共同相続人は,その処分を行った相続人に対して,その法定相続分に応じた不法行為による損害賠償請求権を分割取得するという考え方(福岡高裁那覇支部判決平成13年4月26日判例時報1764号76頁,預貯金債権の取扱いに関する前記本決定の調査官解説も「平成16年判決事案のように相続開始後に共同相続人の1人が相続財産中の預貯金を払い戻した場合,他の共同相続人は,自己の準共有持分を侵害されたものとして,払戻しをした共同相続人に対し,不法行為に基づく損害賠償又は不当利得の返還を求めることができるものと解される(結論において,平成16年判決が説示したところと同じに帰するが,理由を異にする。)。」と評している。)もあり,共同相続人の一人が遺産を処分した場合の規律を設けるとしても,自己の(暫定的な)持分を処分した場合に限るべきであり,それ以上の持分処分の場合は,不法行為又は不当利得による処理に委ねるべきとも考えられなくはない。

しかしながら,特別受益がある場合などには,別案のような考え方に基づき処理を行うと,今度は,処分を行った相続人以外の他の共同相続人の利得額が,処分が行われなかった場合と比べて大きくなり,相続人間の実質的な公平を貫徹できないし(注1)(注2),自己の持分を処分した場合には相続人間の公平を図り,他人の持分を処分した場合には相続人間の公平を図らなくても良いという実質的な理由も見当たらないことから,本方策においては,共同相続人の一人が自己の(暫定的な)持分を処分した場合のみならず,他の共同相続人の持分を処分した場合も含めて遺産分割の対象とできるような規律としている(注3)。

(注1)具体例1(処分を行った共同相続人に特別受益がある場合)

【事例1】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円(400万円分(甲不動産)+1000万(預金))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが,相続開始後に密かに1000万円の払戻しをした場合,A及びBは,遺産分割において,いくら取得できるか。

【計算1】

(本方策の規律による処理)

 Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

 Bの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2=1200万

 遺産分割の対象 400万(残余財産)+1000万(本方策による加算額)

  → 具体的な審判としては,下記のとおりになるものと思われる。

   (案)

   「Aに,(既に取得した)預金1000万円を取得させる。

    Bに,不動産甲(400万円分)を取得させる。

    Aは,Bに対し,代償金として800万円を支払え。」

  → したがって,最終的な取得額は,

   A 1000万(遺産分割による取得)―800万(代償金債務)+1000万(特別受益)=1200万円分

   B 400万(遺産分割による取得)+800万(遺産分割による取得する代償金)

    =1200万円分

   となり,公平な遺産分割が実現される。

(別案の考え方による処理)

① 遺産分割における取得分

 Aの具体的相続分 200万

 Bの具体的相続分 1200万

 遺産分割対象財産 400万(残余)+500万(預金に対するAの持分)

 =900万

となるので,遺産分割における取得額は,

A 900万×( 200万/1400万)=129万

B 900万×(1200万/1400万)=771万

となり,具体的な審判としては,例えば下記のとおりになるものと思われる。

(案)

「Aに,(既に取得した)預金500万円を取得させる。

 Aは,Bに対し,代償金として371万円(500万―129万)を支払え。

 Bに,不動産甲(400万円分)を取得させる。」

② 不法行為又は不当利得による取得分

  Aは,預金に対するBの持分を侵害したとして,Bに対して500万円の損害賠償義務を負う。

③ まとめ

  最終的な取得額は,以下のとおり。

  A 1000万(払戻し分)―371万(代償金)-500万(損害賠償債務)+1000万(特別受益)

   =1129万円分

  B 400万(遺産分割)+371万(代償金)+500万(損害賠償債権)

   =1271万円分

 となり,Bが得をすることとなる。

(注2)具体例2(被処分者(B)に特別受益がある場合)

【事例2】

相続人A,B(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円(400万円分(甲不動産)+1000万(預金))

特別受益 Bに対して生前贈与1000万円

 Aが,相続開始後に密かに1000万円を払戻した場合,A及びBは,遺産分割において,いくら取得できるか。

【計算2】

(本方策の規律による処理)

 Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2=1200万

 Bの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

 遺産分割の対象 400万(残余財産)+1000万(本規律による加算額)

  → 具体的な審判としては,下記のとおりになるものと思われる。

   (案)

「Aに,(既に取得した)預金1000万円を取得させる。

 Aに,不動産甲の持分12(200万円分)を取得させる。

 Bに,不動産甲の持分12(200万円分)を取得させる。」

→ したがって,最終的な取得額は,

 A 1200万(遺産分割による取得)=1200万円分

 B 200万(遺産分割による取得)+1000万(特別受益)=1200万円分

 となり,公平な遺産分割が実現される。

(別案の考え方による処理)

 ① 遺産分割における取得分

  Aの具体的相続分 1200万

  Bの具体的相続分  200万

  遺産分割対象財産 400万(残余)+500万(預金に対するAの持分)

  =900万

  であるので,遺産分割における取得額は,

  A 900万×(1200万/1400万)=771万

  B 900万×( 200万/1400万)=129万

  となり,具体的な審判としては,例えば下記のとおりになるものと思われる。

 (案)

 「Aに,(既に取得した)預金500万円を取得させる。

  Aは,不動産甲の持分271/400(271万円分)を取得させる。

  Bに,不動産甲の持分129/400(129万円分)を取得させる。」

② 不法行為又は不当利得による取得分

  Aは,預金に対するBの持分を侵害したとして,Bに対して500万円の損害賠償義務を負う。

③ まとめ

  最終的な取得額は,以下のとおり。

  A 1000万(払戻し分)+271万(不動産甲の持分)―500万(損害賠償債務)=771万円分

  B 129万(不動産甲の持分)+500万(損害賠償金)+1000万(特別受益)

 =1629万円分

となり,前記(注1)具体例1と比べて,Bの取得額が更に大きくなる。

(注3)なお,本方策の規律を採用することは,共同相続人の一人が他の共同相続人の持分を処分した場合に,相続開始により暫定的に生じた法定相続分の割合による持分の侵害があったとして,不法行為又は不当利得が成立するという従前の理解を必ずしも変更するものではない。例えば,前記(注2)と同じ【事例2】において,Aが相続開始後に預金全体の払戻しをすると,Bが,Aに対して,暫定的な持分割合に応じて500万円の不法行為に基づく損害賠償請求権又は不当利得返還請求権を取得することになると思われる。

そして,①遺産分割が先行し,前記(注2)【計算2】(本方策の規律による処理)におけるのと同様の審判がされた場合には,遺産分割の遡及効により預金全体の持分がAに帰属していたことになり,BのAに対する不法行為に基づく損害賠償請求権又は不当利得返還請求権は消滅することとなり,また,②BのAに対する損害賠償請求等が先行した場合には,遺産分割においては,例えば,下記のような審判をすることが考えられる(このように考えれば公平な遺産分割が実現するものと思われる。)。

(案)

「Bに,(Aが既に払戻した)預金500万円を取得させる。

 Bは,Aに対し,代償金として300万円を支払え。

 Aに,(Aが既に払戻した)預金500万円を取得させる。

 Aに,不動産甲(400万円)を取得させる。」

エ 共同相続人の一人によって,遺産の全部が処分された場合について

本方策は,共同相続人の一人によって,遺産の一部が処分されたのみならず,「遺産の全部」が処分された場合も対象としている。この場合には,遺産分割の時点では実際には分割すべき遺産がないことになるから,このような場合にも本方策の規律を適用してこれを遺産分割事件として処理することについては,(遺産)共有状態にある財産を分割するという遺産分割の性質を変えることにもつながり,もはや遺産分割とは言い難いという批判もあり得るように思われる。また,遺産分割の審判事件は,遺産の分割方法について裁判所に裁量が認められることから,これを審判事件で取り扱うことが許容されているものと考えられるが,遺産の全部が処分された場合には金銭的に調整するほかはなく,この点に裁判所の裁量を認める余地はないとも考えられ,これを審判により行うことができるかという問題があるように思われる(もっとも,処分した遺産が,相続人の手元に残っている場合(例えば,譲渡契約が解除又は取り消された場合など)には,本規律を適用することにより,遺産から一度逸失した財産についても遺産分割の対象とすることができ,このような観点からすると,遺産の全部が処分された場合についても,必ずしも金銭的に調整するほかはないとまでは言い切れないようにも思われる。)。

他方で,遺産の全部が処分された場合についても,これを精算の対象としないと,共同相続人間の実質的な公平が図れないことから(注),共同相続人の一人によって遺産が全部処分された場合についても,本方策の規律の対象としているが,この場合については,本方策の規律の対象からは除外した上で,別途償金請求ができる旨の規定を設けることも考えられる(この場合には,【乙案】で指摘されている問題点が生ずることとなる。)。このため,追加試案では,「(遺産の)全部又は」の部分に〔 〕を付している。

(注)具体例

【事例】

 相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

 遺産   1400万円(1400万(預金))

 特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

 Aが,相続開始後に密かに預金全額1400万円を払戻した場合,A及びBは,遺産分割において,いくら取得できるか。

【計算】

(本方策の規律による処理)

 Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×12―1000万=200万

 Bの具体的相続分 (1400万+1000万)×12=1200万

 遺産分割の対象 0+1400万(本方策の規律による加算額)

 → 具体的な審判としては,下記のとおりになるものと思われる。

  (案)

  「Aに,(既に取得した)預金1400万円を取得させる。

   Aは,Bに対し,代償金として1200万円を支払え。」

 → したがって,最終的な取得額は,

  A 1400万(遺産分割による取得)―1200万(代償金債務)+1000万(特別受益)=1200万

  B 1200万(遺産分割による取得する代償金)

(本方策の対象としない場合)

 相続開始により,A,Bは,預金について各2分の1の準共有持分を取得したものと考えられ,Aは,預金全額の引出しにより,Bの預金に対する準共有持分を侵害したといえる。

 したがって,Bは,Aに対し,不法行為に基づく損害賠償請求権(又は不当利得)として,700万円(Bの準共有持分相当額)の支払しか求めることができないものと考えられる。

⑵ 【乙案】について

⑵ 【乙案】(償金請求案)

共同相続人の一人が遺産の分割前に遺産に属する財産を処分したときは,他の共同相続人は,当該処分をした者に対し,次のアに掲げる額から次のイに掲げる額を控除した額の償金を請求することができる。

ア 当該処分がなかった場合における民法第903条の規定によって算定された当該共同相続人の相続分に応じて遺産を取得したものとした場合の当該遺産の価額

イ 民法第903条の規定によって算定された当該共同相続人の相続分に応じて遺産を取得したものとした場合の当該遺産の価額

ア 基本的な考え方

【乙案】は,共同相続人の一人が遺産分割前に遺産を処分したことにより生じる計算上の不公平を是正する手段として,償金請求をすることができる旨の規定を設け,通常の民事事件(第一審は,原則として地方裁判所ということになる。)として処理をするという考え方に基づくものである。具体的には,①当該処分がなかった場合における他の共同相続人の具体的相続分に応じて計算された遺産の取得額と,②当該処分がされた場合における他の共同相続人の具体的相続分に応じて計算された遺産の取得額の差額について,当該処分を行った者に対して償金請求をすることができることとしている(注1)(注2)。

なお,寄与分について考慮することも考えられなくはないものの,償金請求の額が,その後に発生する(厳密には先行する場合もある)寄与分の審判によって変動することとすると,償金請求訴訟が先行した場合,寄与分の審判が確定するまではその訴訟を終結することができないことになるため,本方策では考慮の対象としていない。

イ 本部会で示された懸念点

【乙案】を設けることについては,本部会において,①具体的相続分の審理が,家庭裁判所と地方裁判所の両方で行われることにより,特別受益等に関する主張や証拠資料等をその都度提出する必要が生ずるなど当事者の負担が増す上,判断も異なり得ることになり(さらに,多数の共同相続人がそれぞれ償金請求することにより,地方裁判所の審理・判断だけでも多数に及び得る。),不合理である,②地方裁判所の手続では寄与分を考慮しない結果,必ずしも計算上の不公平が実現されない場合が生ずる,③本方策を採用することにより,具体的相続分に権利性がないとされてきた点が変更されることになるのか,仮に変更されることとなるとした場合にその他の分野に大きな影響を与えることになるのではないかといった懸念点が示され,【甲案】よりも更に慎重な検討を求める意見が多数出された。

他方で,これらの懸念については,次のように考えることもできる。

(ア) 上記の点について

この点は,現行法においても生じ得る問題であると考えられる。すなわち,被相続人の遺贈,贈与の減殺を求める遺留分減殺請求に係る紛争は訴訟事項であり,その際,特別受益があればその持戻しをした上で遺留分侵害の有無,割合が計算されることになるが,訴訟裁判所は,訴訟事項に関する判断のために必要であれば,特別受益の有無,具体的相続分(割合)を認定し得るのであり,かかる認定が家庭裁判所の専決事項に属するとか,訴訟手続になじまないということはないものと考えられる(最判平成12年2月24日民集54巻2号523頁に係る平成12年最高裁判例解説79頁参照)。このように,具体的相続分に関する判断が家庭裁判所と訴訟裁判所とで異なるという可能性は現行法の下でもあり得る問題であって,本方策を導入することによって,新たに生じる問題ではないといえる(これに対しては,同一の紛争において,遺留分減殺請求事件と遺産分割事件の両方が問題となる事案はそれほど多くなく,その影響の程度には大きな違いがあるとの再反論がされた。)。

(イ) 上記の点について

この点については,償金請求により処分がなかった場合と全く同じ結果が実現できるわけではないものの(注3)(注4),この一事をもって,償金請求権を与えることができないという結論にはならないものと思われる(注5)。

(ウ) 上記の点について

この点については,本方策を導入することにより,将来的に具体的相続分に権利性があると判例・学説上評価される可能性があることは否定しないものの,具体的相続分の認定が訴訟手続において可能であることと,その事実を確認訴訟の対象とすることができるかどうかとは別の問題であるものと考えられる。そして,確認訴訟の適法要件としては,その対象適格や即時確定の利益を充足することが必要であるから,【乙案】を採用したからといって,必ずしも,遺産分割の前提問題として具体的相続分を確認することは不適法であるという判例(上記最判)が変更されることにはならないように思われる。もっとも,上記判例が変更されることを懸念するのであれば,【乙案】よりも【甲案】を採用した方がその可能性は低下するように思われる。

(注1)具体例1

【事例1】

相続人A,B,C3名(法定相続分1/3 ずつ)

遺産   1400万円分(500万円分(不動産甲)+900万円分(不動産乙))

特別受益 Aに対して生前贈与400万円

Aが相続開始後に不動産乙の持分1/3(300万円分)を第三者に譲渡した場合の,A〜Cの遺産分割における取得額を検討する。

【計算1】

(① Aの処分がなかったとした場合の計算)

Aの具体的相続分 (1400万+400万)×1/3―400万=200万

B及びCの具体的相続分 (1400万+400万)×13=600万

したがって,遺産分割において,Aは200万円分(特別受益400万と併せて600万円分),B及びCは各600万円分の財産を取得することができる。

(② 現行法の考え方1)

前記(注1)のとおり,現行法の下における一般的な考え方は必ずしも明らかではなく,定説もないようではあるが,遺産分割は分割の時に実際に存在する財産を分配する手続であり,かつ,具体的相続分については,民法第903条第1項が「相続開始の時において有した財産の価額」としていることから,相続開始時の財産を基準に算定すべきであり,また,処分された財産については,同項の特別受益には文言上当たらないという考え方を前提に計算すると,

具体的相続分の計算については,上記①と同じであり,

これを前提として,遺産分割時に存在する遺産(1100万円分)を分配すると,

   Aは, 1100万×(200万/(600万+600万+200万))=157万円

B及びCは, 1100万×(600万/(600万+600万+200万))=471万円

となり,結局,最終的な取得分は,

A 400万+300万+157万=857万円分

B及びC 471万円分

となり,不動産乙の持分を処分したAが処分をしなかった場合と比べて取得額が大きくなる(その分,B及びCの取得額が減る。)。

前記1(注3)と同じ【事例1】において,本方策を適用した場合には,同【計算1】の①と②の差額を,B又はCは,Aに対して償金請求することができることになるから,

600万―471万=129万円

の償金請求をすることができる(なお,前記1(注3)にもあるとおり,現行法の考え方として異なる考え方を採用した場合は,償金請求することができる額が変わることとなる。なお,この点については【乙案】の問題点であるともいえる。)。

(注2)具体例2

【事例2】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円分(1000万(預金)+400万円分(不動産))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが相続開始後に密かに500万円を払戻した場合(準占有者に対する弁済として有効であることを前提とする。),A及びBの遺産分割等における取得額はいくらか。

【計算2】

(① Aの出金がなかったとした場合の計算)

Aの具体的相続分 (1400万+1000万)×1/2―1000万=200万

Bの具体的相続分  1200万

したがって,遺産分割において,Aは200万円分の財産(特別受益を含めると1200万円分),Bは1200万円分の財産を取得することができる。

(② 現行法の考え方)

具体的相続分の計算は,【事例1】と同じ。したがって,Aの具体的相続分は200万,Bの具体的相続分は1200万となる(なお,預貯金の払戻しについても,上記(注3)と同様に現行法の解釈としては複数の考え方があり得るが,ここでは上記(注3)(② 現行法の考え方1)を前提に計算している。)。

遺産分割時の遺産(900万)を具体的相続分で割付けをすると,

Aは, 900万×(200万/(1200万+200万))=129万

Bは, 900万×(1200万/(1200万+200万))=771万

となり,結局,最終的な取得分は,

A 1000万+500万+129万=1629万円分

B 771万円分

となり,不当な払戻しをしたAが払戻しをしなかった場合と比べて得をすることになる。

前記1(注4)と同じ【事例2】において,本方策を適用した場合には,同【計算2】の①と②の差額を,Bは,Aに対して償金請求することができることになるから,

   1200万―771万=429万円

の償金請求をすることができる。

(注3)具体例(寄与分が認められた場合)

【事例】

相続人A,B2名(法定相続分1/2ずつ)

遺産   1400万円(1000万円分(不動産)+400万円(預金))

特別受益 Aに対して生前贈与1000万円

Aが相続開始後に密かに200万円を払い戻した場合(準占有者に対する弁済として有効であることを前提)。審判において,Bの寄与分が100万円認められたものとする。

【① Aの払戻しがなかった場合の遺産分割における取得額】

 Aの具体的相続分(1400万+1000万―100万)×1/2―1000万=150万

 Bの具体的相続分(1400万+1000万―100万)×1/2+100万=1250万

 → したがって,Aは150万円(生前贈与と合わせて1150万円),Bは1250万円,それぞれ取得できる。

【② Aの払戻しがあった場合の遺産分割における取得額】

  A,Bの具体的相続分の計算は,上記のとおり。

  遺産分割時の遺産の価額は,1200万円であるから,それぞれの遺産分割における取得額は,

   A 1200万円×( 150万/(150万+1250万))=129万円

   B 1200万円×(1250万/(150万+1250万))=1071万円

 となる。

【寄与分を考慮した場合の償金請求の額】

 償金請求において,寄与分を考慮した場合には,Bは,①と②の差額である

 1250万-1071万=179万円

を償金請求することができることとなる。

 寄与分を考慮しない場合には,Aの具体的相続分は200万,Bの具体的相続分は1200万であり,これを前提に遺産分割時の遺産総額を分配すると,Bの取得額は1029万円分となるから,結局,BがAに対して,償金請求することができる額は171万円(1200万―1029万)となる。

(注4)【甲案】と寄与分の審判の関係について

なお,【甲案】においては,遺産分割の手続の中で,処分された財産についても遺産として考慮されることになるため,寄与分の審判結果についても考慮することができる。例えば,前記(注3)の事例を前提とすると,Aの具体的相続分は150万円,Bの具体的相続分は1250万円となり,

そして,【甲案】においては,Aが処分した預金200万円についても遺産分割の対象とみなされることになるから,Aは遺産分割において150万円相当,Bは遺産分割において1250万円相当を取得することができ,審判としては,例えば,

「Aに,(既に取得した)預金200万円を取得させる。

 Aは,Bに対し,代償金50万円を支払え。

 Bに,預金200万円及び不動産(1000万円分)を取得させる。」

となるものと考えられる。

なお,預金の払戻しをしたのがAではなく,Bであることが事後的に判明した場合には,前記のとおり,Aは,Bに対して,200万円の不当利得返還請求権(又は不法行為に基づく損害賠償請求権)を取得することになり,上記審判によって負担するものとされた代償金債務50万円を相殺することによって,Aは,Bに対して,150万円,訴訟において請求することができると考えることができる。

(注5)なお,相続の開始後に認知され相続人となった者の価額賠償請求権(民法第910条)については,寄与分を考慮することができるものとされている(同法第904条の2第4項。なお,家事事件手続法第191条第2項は遺産分割が既に終了した場合でも寄与分の審判の申立てがあり得ることを想定した規定となっている。)。この場合,価額賠償請求訴訟が提起された後に,寄与分の審判の申立てがあると,前者の訴訟手続を終結させることはできないこととなる。本方策についても,公平さを徹底しようとする場合,民法第904条の2第4項に本方策の規律も含めることとした上で,寄与分を考慮するという制度設計もあり得なくはないように思われる(もっとも,このような制度設計をすると,寄与分の審判が確定するまでの間終結をすることができない償金請求訴訟が大量に生じるという問題もあるものと思われる。)。

第4 遺留分制度に関する見直し

1 遺留分減殺請求権の効力及び法的性質の見直し

【見直しの要点】
遺留分減殺請求権の行使によって当然に物権的効果が生ずるとされている現行の規律を見直し,①遺留分に関する権利(以下「遺留分権」という。)の行使によって遺留分侵害額に相当する金銭債権が生ずる,②受遺者又は受贈者は,金銭債務の全部又は一部の支払に代えて,遺贈又は贈与の財産のうちその指定する財産(以下「指定財産」という。)により給付することを請求することができる(その請求の時に指定財産の権利が遺留分権利者に移転するとともに,金銭債務の全部又は一部が消滅する。),③遺留分権利者が一定期間内に指定財産に関する権利を放棄することができる(金銭債務の消滅の効果までは覆らない。)という制度を設けるものとする。
【説明】

1 見直しの必要性

遺留分権の効力及び法的性質の見直しの必要性については,中間試案の補足説明において記載したとおりである(同補足説明「第4・1【説明】「1 見直しの必要性」」)。

1 見直しの必要性

現行法上は,減殺請求により当然に物権的効果が生ずること(注)とされているため,減殺請求の結果,遺贈又は贈与の目的財産は受遺者又は受贈者と遺留分権利者との共有になることが多いが,このような帰結は,円滑な事業承継を困難にするものであり,また,共有関係の解消をめぐって新たな紛争を生じさせることになるとの指摘がされている。例えば,被相続人が特定の相続人に家業を継がせるため,株式や店舗等の事業用の財産をその者に遺贈するなどしても,減殺請求により株式や事業用の財産が他の相続人との共有となる結果これらの財産の処分が困難になるなど,事業承継後の経営の支障になる場合があるとの指摘もされている。

また,明治民法が採用していた家督相続制度の下では,遺留分制度は家産の維持を目的とする制度であり,家督を相続する遺留分権利者に遺贈又は贈与の目的財産の所有権等を帰属させる必要があったため,物権的効果を認める必要性が高かった(特に相続人以外の第三者に遺贈又は贈与された場合にはそのような必要性が高かったといえる。)が,現行の遺留分制度は,遺留分権利者の生活保障や遺産の形成に貢献した遺留分権利者の潜在的持分の清算等を目的とする制度となっており,その目的を達成するために,必ずしも物権的効果まで認める必要性はなく,遺留分権利者に遺留分侵害額に相当する価値を返還させることで十分ではないかとの指摘もされている。

本部会では,これらの指摘を踏まえ,遺留分減殺請求権の効力及び法的性質の見直しについて検討を行った。

(注)「物権的効果」の具体的意義について 遺贈又は贈与の目的財産が特定物である場合には,減殺請求によって,遺贈又は贈与は遺留分を侵害する限度において失効し,受遺者又は受贈者が取得した権利は,その限度で当然に減殺請求をした遺留分権利者に帰属する(最判昭和51年8月30日民集30巻7号768頁)。このように,現行法の下では,減殺請求によって当然に遺留分権利者に所有権等の権利が帰属することとされているが,「1」の物権的効果は,このような効果を意味するものである。

なお,中間試案においては,受遺者又は受贈者が,現物給付(注)を求めた場合の効果等に関し,【甲案】(裁判所が現物給付の内容を定めるという考え方)と【乙案】(現行法と同様の規律で当然に現物給付の内容が決まるという考え方)の2つの考え方が示され,パブリックコメントの手続に付されたところ,【甲案】を支持する意見が多数を占めたことから,中間試案後の本部会では【甲案】を中心に検討を進めてきたが,裁判所の判断に委ねると,遺留分権利者はどのような物を取得することができるか分からず,予測可能性に欠けるのではないか,また,現行法の下において,複数の財産について減殺請求を受けた受遺者又は受贈者は,減殺を受けた物の一部について金銭で弁償するということも認められていることからすると,現物給付の目的財産については受遺者又は受贈者にその選択権を認めてもよいのではないかといった指摘等がされ,これらの議論の結果を踏まえ,今回の追加試案における提案内容に修正されたところである。

このように,本方策については,中間試案における提案内容から現物給付に関する規律が大きく変わっているため,改めてパブリックコメントの手続に付することとしたものである。

(注)現物の「給付」という用語について

中間試案においては,受遺者又は受贈者は,現物による「返還」を求めることができるとしていた。これは,遺留分権の本質が,遺留分侵害額に相当する価値の返還を求める権利であることに着目し(追加試案においては,これを一次的には金銭化した上で,受遺者又は受贈者のイニシアティブにより金銭債務の全部又は一部の支払に代えて,指定財産の給付を求めることができることとする。),「返還」という用語を用いていたものであるが,「返還」という用語の一般的な意味は,「もとの所へかえすこと。もどすこと」(広辞苑)であり,遺留分権利者が遺贈又は贈与の目的財産の元々の所有者ではないことからすると,必ずしも適切な用語の用い方ではないといえる。そこで,今回の追加試案においては,代物弁済の規定(民法第482条)を参考にして「給付」という用語を用いることとしている。

2 見直しの内容及び趣旨

⑴ 遺留分侵害額の請求(「⑴」)

⑴ 遺留分侵害額の請求

民法第1031条の規律を次のように改めるものとする。 遺留分権利者及びその承継人は,〔遺留分権を行使することにより,〕受遺者(遺産分割方法の指定又は相続分の指定を受けた相続人を含む。以下第4において同じ。)又は受贈者に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができる(注1)(注2)。

(注1)この権利の行使により,具体的な金銭請求権が発生する。

(注2)遺留分権の行使により生ずる権利を金銭債権化することに伴い,遺贈や贈与の「減殺」を前提とした規定を逐次改めるなどの整備が必要となる。

遺留分権の行使によって当然に物権的効果が生ずるとされている現行の規律を見直し,遺留分権利者が遺留分権の行使をすることによって,受遺者又は受贈者に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払を請求することができることとするものである。

なお,遺留分侵害額及び遺留分額を求める以下の計算方法についても,下記のとおり明文化することを予定している。現行法上,遺留分侵害額の計算方法は法律上明示されていないが,一般に,下記計算式により求めるものとされ,実務上も定着しているものと思われる(注1)。

また,現行法においても,遺産分割方法の指定(相続させる旨の遺言)又は相続分の指定を受けた相続人については,遺留分減殺の対象となっているところ,この点を追加試案においても明らかにする観点から,「⑴」において「受遺者(遺産分割方法の指定又は相続分の指定を受けた相続人を含む。以下第4において同じ。)」に対し,遺留分侵害額に相当する金銭の支払請求をすることができることとしている(注2)。

また,「⑴」の請求権は,現行法の遺留分減殺請求権に相当するものであり,短期間の権利行使制限に服するが(民法第1042条),「⑴」の請求権を行使することにより生じた金銭債権については,民法の一般の債権と同様の消滅時効の規律に服することになる(民法第166条第1項,第167条第1項,平成29年法律第44号による改正後の民法第166条第1項)。

なお,現行法上,遺留分権の行使は形成権であるとされているが,本方策は,その点の見直しまでを意図するものではなく,受遺者又は受贈者に対する具体的な金銭請求権は,「⑴」の請求権を行使して初めて発生するものとすることを前提にしており,この点を「(注1)」において明らかにしている。また,遺留分権の行使により生ずる権利を金銭債権化することに伴い,民法第1036条第1040条第1041条など遺贈や贈与の「減殺」を前提とした規定を逐次改めるなどの整備が必要となり,この点を「(注2)」において注記している。

〔計算式〕

遺留分額=(遺留分を算定するための財産の価額)×(民法第1028条に規定する総体的遺留分率)×(遺留分権利者の法定相続分の割合)

遺留分侵害額=(遺留分額)-(遺留分権利者が受けた特別受益)-(遺産分割の対象財産がある場合(既に遺産分割が終了している場合も含む。)には具体的相続分に応じて遺産を取得したものとした場合の当該遺産の価額(ただし,寄与分による修正は考慮しない。))+(被相続人に債務がある場合には,その債務のうち遺留分権利者が負担する債務の額)

(注1)遺留分侵害額の計算方法のうち,遺留分を算定するための財産の価額に関する規律(要綱案のたたき台⑵「第4・2・⑴」)及び遺産分割の対象となる財産がある場合に関する規律(同「第4・2・⑵)」)については,改正が予定されており,本文の計算式のうち遺産分割の対象となる財産がある場合については,上記改正予定の規律を反映したものとなっている。なお,これらの規律については,中間試案における提案から大きく変わっていないことから,今回の追加試案及びそのパブリックコメントの対象とはされていない。

(注2)相続分の指定に対する遺留分権の行使について

現行法の下においては,遺留分権の行使により相続分の指定が減殺された場合には,遺留分割合を超える相続分を指定された相続人の指定相続分は,その遺留分割合を超える部分の割合に応じて修正されることになり(最決平成24年1月26日家月64巻7号100頁),その修正後の相続分に応じて遺産分割が行われることになる。

一方,遺留分権の行使から生ずる権利を原則金銭債権化する場合に,相続分の指定に対する遺留分権の行使の効果をどのように考えるかについては,①現行法と同様に,相続分の割合が修正されるとして,その後遺産分割を行うという考え方(A説)と,②金銭債権化する以上は,遺留分権利者は,遺留分侵害額に相当する金銭しか請求することができず,遺産分割には参加することができないという考え方(B説)があるように思われるところ,遺留分権の行使によって生ずる権利を金銭債権化する以上は,B説を採用するのが相当のように思われる。本提案においては,相続分の指定を受けた相続人に対して,遺留分権の行使により金銭請求をすることができることを明らかにすることで,B説を採用することを明らかにしている。

【事例】

相続人がA,B,Cの3名(法定相続分は各13)で,被相続人が,A,B,Cの相続分を,それぞれ0,12,12と指定したものとする。その後,Aが,B及びCに対して減殺請求をした。なお,相続財産は,預金1200万円,甲不動産(1200万円分),乙不動産(1200万円分)であったものとする。

【処理】

(A説による処理)(現行法による処理)

 Aの遺留分(相続分の割合) 1/3×1/2=1/6

 B,Cの相続分は, それぞれ 1/2―1/6×1/2=5/12

 に修正され,その修正後の相続分の割合で,遺産分割を行う。

 遺産分割の結果,Aは600万円分の財産,B及びCは各1500万円分の財産を取得することができる。

(B説による処理)

Aの遺留分侵害額 (1200万+1200万+1200万)×1/3×1/2=600万円

Aは,B及びCに対して各300万円請求することができる(遺産分割はB及びCのみで行う。)。

⑵ 受遺者又は受贈者の負担額(「⑵」)

⑵ 受遺者又は受贈者の負担額

民法第1033条から第1035条までの規律を次のように改めるものとする。 受遺者又は受贈者は,次のアからウまでの規律に従い,遺贈(遺産分割方法の指定又は相続分の指定による遺産の取得を含む。以下第4において同じ。)又は贈与(遺留分を算定するための財産の価額に算入されるものに限る。以下同じ。)の目的の価額(受遺者又は受贈者が相続人である場合にあっては,当該相続人の遺留分額を超過した額)を限度として,⑴の請求に係る債務を負担する。

ア 遺贈と贈与があるときは,受遺者が先に負担する。

イ 遺贈が複数あるとき,又は同時期の贈与があるときは,その目的の価額の割合に応じて負担する。ただし,遺言者がその遺言に別段の意思表示をしたときは,その意思に従う。

ウ 贈与が複数あるときは,後の贈与を受けた者から順次前の贈与を受けた者が負担する。

今般の改正に係る検討は,遺留分権の行使によって当然に物権的効力が生じるとしている現行法の規律を改め,原則金銭債権が生ずることとするものであるが,他の相続人の遺留分を侵害している者が複数いる場合の減殺の順序(負担割合)を変更することを意図するものではない。そして,「⑵」の規律は,減殺の順序を定める民法第1033条から第1035条までについて受遺者又は受贈者の負担額に関する規律として,その実質を維持することとしており,「ア」の規律は第1033条に,「イ」の規律は第1034条に,「ウ」の規律は第1035条にそれぞれ対応している(注)。

なお,「受遺者又は受贈者が相続人である場合にあっては,当該相続人の遺留分額を超過した額」を遺贈又は贈与の目的の価額とするものとしている。これは,民法第1034条の「目的の価額」に関する解釈として,受遺者が相続人である場合にはその遺留分額を超過した額を「遺贈の目的の価額」とするという解釈が有力であり(いわゆる遺留分超過額説),判例(最判平成10年2月26日民集52巻1号274頁)もこの解釈を肯定していることから,この点を明らかにすることとしている。また,受贈者の負担額の基準となる贈与については,遺留分を算定するための財産の価額に算入されるものに限る趣旨(相続人に対する贈与については相続開始前10年前までのものが,また,第三者に対する贈与については相続開始前1年前までのものが原則として算入される(要綱案のたたき台⑵「第4・2・⑴」)。)から,「贈与(遺留分を算定するための財産の価額に算入されるものに限る。以下同じ。)」とすることとしている。

(注)具体例

以下のような【事例】において,現行法の下においては,Xが遺留分権を行使したことにより,甲土地の所有権及び乙土地の持分権(17)を取得するが,追加試案の規律によれば,Xは,Aに対する500万円の債権,Yに対する500万円の債権を取得することとなる。

【事例】

相続人がXとYの2名(法定相続分は同じ。)で,被相続人が,第三者Aに対し甲土地(500万円分)を遺贈し,また,Yに対して乙土地(3500万円分)を生前贈与した。その他に遺産はなく,Xが,A及びYに対して遺留分権の行使をしたものとする。

【計算】

Xの遺留分侵害額=(500万+3500万)×1/2×1/2=1000万

したがって,

① 現行法の下においては,

 Xは,Aに対して 甲土地(500万円分)の減殺を,

 また,Yに対して 乙土地の持分17(500万円分)の減殺を,

 それぞれ求めることができ,また,

② 追加試案の規律によれば,

 Xは,Aに対して500万円,Yに対して500万円の支払をそれぞれ求めることができる。

⑶ 受遺者又は受贈者の現物給付(「⑶」)

⑶ 受遺者又は受贈者の現物給付

次のとおり,金銭債務の全部又は一部の支払に代えて,受遺者又は受贈者が現物給付することができる旨の規律を設けるものとする。

ア 受遺者又は受贈者は,遺留分権利者に対し,⑵の規律により負担する債務の全部又は一部の支払に代えて,遺贈又は贈与の目的である財産のうちその指定する財産(以下「指定財産」という。)により給付することを請求することができる。

イ アの請求は,〔遺留分侵害額の請求に係る訴訟の第一審又は控訴審の口頭弁論の終結の時までにしなければならない。〕〔⑵の規律により負担する債務の履行の請求を受けた時から一定期間(例えば1年)内にしなければならない。〕

ウ アの請求があった場合には,その請求をした受遺者又は受贈者が負担する債務は,指定財産の価額の限度において(,その請求があった時に)消滅し,その指定財産に関する権利が移転する。

エ 遺留分権利者は,アの請求を受けた時から〔1か月〕〔2週間〕以内に,受遺者又は受贈者に対し,ウの指定財産に関する権利を放棄することができる。

オ 遺留分権利者がエの規定による放棄をしたときは,当初からウの指定財産に関する権利の移転はなかったものとみなす。

「ア」は,「⑵」の規律により負担する金銭債務の全部又は一部の支払に代えて,その請求を受けた受遺者又は受贈者が,遺留分権利者に対し,遺贈又は贈与の目的である財産のうちその指定する目的財産により給付することを請求することができるとするものである。その理由については,中間試案の補足説明において記載したとおりであるが,受遺者又は受贈者に金銭での支払しか認めないこととすると,受遺者又は受贈者としては,遺留分権利者に支払うべき金銭を直ちに用意することができない場合には,遅延損害金がかさむのを防ぐために,自己の財産を売却するなどして金銭を用意する必要があるところ(金銭を用意できない場合には自己の固有財産に執行を受けるおそれもあるし,時間的余裕もない中で遺贈又は贈与を受けた財産を売却しなければならないとなると,その財産の本来的な価値よりも低い価格での売却を迫られるおそれもある。),受遺者又は受贈者としては,このような事態になるのであれば,遺贈の放棄をするなどしてその目的財産を取得しない方が良かったということにもなりかねないが,一旦遺贈を承認した場合には,その後にそれを撤回することはできず(民法第989条第1項),受遺者又は受贈者にとって酷な事態が生ずること等を考慮したものである。

また,中間試案とは異なり,追加試案においては,受遺者又は受贈者に対して,現物給付の目的財産の指定権を与えていることとしている。これは,①遺言者が遺言によって遺留分権利者に遺留分額に相当する財産を取得させた場合や,あるいは,遺言の中で帰属が定められなかった遺産があり,これについて遺産分割が行われる結果遺留分権利者の遺留分が満たされる場合には,遺留分権利者は,その取得する財産の内容に不満があっても遺留分権の行使をすることはできないこと,②複数の遺贈があった場合には受遺者は遺贈の一部を放棄することも可能と解されているところ,その場合には当該遺贈の目的財産は相続財産に復帰することになるため(民法第986条第995条前段),遺留分権利者は,遺産分割の手続においてその目的財産を取得することになり,これによってその遺留分が満たされる場合には,遺留分権の行使をすることができないこと,③判例上,遺贈又は贈与の目的とされた財産が複数ある場合でも,受遺者又は受贈者は,そのうちの一部の財産についてのみ価額弁償をすることが認められていること(最判昭和54年7月10日民集33巻5号562頁参照)からすると,遺留分権利者は,何らかの形で自らの遺留分額に相当する財産を取得した場合には,その内容に不満があってもこれを甘受しなければならない立場にあるといえること等を考慮したものである。

「イ」は,「ア」の請求に係る時的限界を定めており,本部会における議論を踏まえ,2つの考え方を示している。受遺者又は受贈者による現物給付の主張がいつまでもできることになると,例えば,遺留分権の行使により生じた金銭請求権に基づきその支払を求める訴訟において長期間争い判決が確定した後に,執行を回避する目的で現物給付の主張ができることにもなり,法的安定性の観点から相当ではないと考えられ,一定の時的限界を設ける又は解釈によって時的限界を画する必要があるものと考えられる。①第1の案は,金銭請求訴訟が終了した後に,現物給付の主張をさせることは,紛争の蒸し返しになり相当ではないという観点から,「ア」の請求は,遺留分侵害額に相当する金銭支払請求に係る訴訟の第一審又は控訴審の口頭弁論終結時までにしなければならないこととしている(注1)(注2)。第1の案に対しては,口頭弁論の終結時とすると,弁論の再開や上訴審で審理が差し戻される場合もあるなど基準として不明確ではないかという指摘もあり,そこで,②第2の案では,遺留分権利者から金銭請求を受けた時から一定期間(例えば1年)内に「ア」の請求をしなければならないこととしている。この案によれば,金銭請求訴訟において長期間争い,敗訴濃厚となった受遺者又は受贈者が,訴訟の引き延ばしを図るために現物給付の主張をするという事態や,判決確定後に執行の回避をするために現物給付の主張をするという事態を相当程度防止することができるように思われる(注3)。

「ウ」は,「ア」の請求があった場合には,その請求をした受遺者又は受贈者が負担する債務は,給付する指定財産の価額の限度において,その請求があった時に消滅し,その指定財産に関する権利が移転することとしている。

また,「エ」は,「ア」の請求を受けた遺留分権利者が,その請求を受けた時から一定期間(1か月又は2週間以内)内に限り,「ウ」の規律により移転した指定財産に関する権利を放棄することができるというものであり,「オ」は,その放棄の意思表示があった場合には,その指定財産に関する権利移転のみがなかったものとする(金銭債務の消滅の効果は覆らない。なお,指定財産に関する権利移転がなかったものとされる結果,指定財産に関する権利は,受遺者又は受贈者に帰属したままということになる。)というものである(注4)(注5)。受遺者又は受贈者に現物給付の指定権を付与した場合,受遺者又は受贈者が換価困難な物を指定することも考えられるが(例えば,固定資産税の負担や管理費用の支払を要するがほとんど価値のない山林を指定した場合,環境汚染がある(除去に相当の費用を要する)不動産を指定した場合,行政上の規制があり市場流通性の低い不動産を指定した場合など),そのような場合には,権利濫用等の一般条項で対応するのは不十分であり,遺留分権利者に制度上放棄する機会を与えるべきであるという議論を踏まえた提案である。なお,遺留分権利者が放棄の意思表示をすると,受遺者又は受贈者の現物給付の意思表示により生じた物権変動の効果を覆すこととなるから,いつまでも指定財産の放棄を認めるのは適当ではないところ,遺留分権利者としては,金銭請求を行う際に,遺贈又は贈与の対象財産に係る価値はある程度把握しているのが通常であり,その放棄の意思表示に短期間の時的限界を設けたとしても特段問題はないものと考えられ,追加試案においては,「2週間」又は「1か月」という提案をしている。また,このような短期間の時的限界を設けた場合には,遡及効を徹底させたとしても(第三者保護規定を設けない),特段取引の安全性を害するといった問題は生じないものと思われる。

(注1)第1の案の規律を設ける必要性について

金銭請求訴訟の口頭弁論終結時を時的限界の基準時とするとしても,第1の案のような時的限界の規律を明文上の規律として設ける必要があるかどうかは,金銭債務の支払を命ずる判決が確定した場合に,その既判力によって現物による給付請求権(抗弁)が当然に遮断されることになるかどうかによるものと思われる。

この点については,受遺者又は受贈者が現物により給付する財産を指定することによって,実質的には金銭債務の全部又は一部が指定財産の返還債務に変更されるという性質を有しており,両債務の履行によって遺留分権利者の遺留分が確保されるという意味において密接な関連性を有すること等に照らすと,その後の訴訟等において,現物給付による金銭債務の消滅を主張することは,金銭請求訴訟における既判力により遮断され,許されないとも考えられる(債務負担行為の取消権及び解除権について,その行使を基準時後にしたとしても,取消権及び解除権がそれ以前に存在し,いつでも行使することができた場合には既判力により遮断されることとなるのと同様に考えることになる(最判昭和36年12月12日民集15巻11号2778頁,最判昭和55年10月23日民集34巻5号747頁)。)。このような考え方に立てば,第1の案のような規律は明文上特に設ける必要はないものと思われる。

他方で,現物給付による金銭債務の消滅の主張は,遺留分権の行使に基づく金銭請求権に内在する瑕疵とはいえない上, 遺贈又は贈与の指定財産の返還義務を新たに生じさせ,受遺者又は受贈者に一定の経済的な負担を生じさせるものであること等に照らせば,金銭請求訴訟の既判力によっては遮断されないという考え方も十分にあり得るものと考えられる(金銭請求訴訟における認容判決の確定後にも債務者は相殺権を行使することができるとされていることや,建物収去土地明渡請求訴訟における認容判決の確定後に建物買取請求権を行使することができるとされていることと同様に考えることになる(最判昭和40年4月2日民集19巻3号539頁,最判平成7年12月15日民集49巻10号3051頁)。)。このような考え方に立てば,第1の案のような規律を設ける必要が生ずることとなる。また,解釈論として疑義がある場合には,念のため規定を設けるという考え方もあるように思われる。

(注2)なお,遺留分権利者の金銭請求及び受遺者又は受贈者の現物給付の請求については,訴訟によらずに行使することも可能であるが,訴訟外で合意に至った場合については,以後現物給付の請求権を行使しないという合意を含むのが通常であるものと考えられるから,特段の規律を設ける必要はないものと考えられる。

(注3)第2の案について

なお,第2の案を採用し,1年以内に現物給付の主張をしなければならないという規律を採用した場合,例えば,金銭請求訴訟が金銭請求をした時から数ヶ月以内で終了し,その後,制限期間内ぎりぎりで現物給付の意思表示をするということも考えられるが,そのような場合に現物給付の主張を認めるべきかどうかという問題が生じうる。この点,法律が短期間の主張制限を設けているという趣旨を重視し,金銭請求訴訟の既判力により現物給付の主張が遮断されるという解釈論もあり得なくはないように思われるが,そのような解釈論を取り得ない場合に備えて,金銭請求訴訟が先行して終了した場合には現物給付の主張ができない旨の規律を設けることや,遺留分権利者による催告制度(権利行使の有無を催告し,その権利行使がない場合にはその権利が消滅することとする。例えば,解除権については同様の規律が存在する(民法第547条)。)を設けるということも考えられる。しかしながら,遺留分に係る金銭請求訴訟が金銭請求をした時から起算して1年以内に終了するということは,訴訟提起までに通常一定の準備期間を要することや訴訟に要する平均的期間等を考えると必ずしも一般的とは言い難く,かつ,その後受遺者又は受贈者が現物給付の主張をするということまでを考えると,極めて稀なケースであるといえ,そのような場合を想定して複雑な規律を設けるまでの必要性は低いのではないかと考えられる。

(注4)指定財産を放棄した場合の具体例

例えば,遺留分権利者Xの遺留分権の行使により1000万円の金銭債権が発生し,その請求を受けた受遺者Yが甲土地(10万円分)による現物給付を主張し,Xが,甲土地であれば不要である(放棄する)と主張したものとする。

この場合,①Yの現物給付の主張により,甲土地の所有権がXに移転するとともに,金銭債務が10万円減縮する(残る金銭債務の額は990万円),②Xの甲土地の放棄の意思表示により,甲土地の所有権移転の効果が覆るが(所有者はYに戻る。),金銭債務の減縮の効果は変わらない(残る金銭債務の額は990万円)と考えることになる。

(注5)その他

遺留分権の行使に基づく金銭請求訴訟の訴訟構造を考えてみても,「エ」,「オ」のような規律を設けても,審理が複雑化することにはならないものと考えられる。

すなわち,遺留分権利者の金銭請求に対し,受遺者側が現物給付の意思表示をした場合には,それにより金銭債権の全部又は一部が消滅することになるが,遺留分権利者が指定財産の放棄の意思表示をしたとしても,消滅した金銭債権については影響を与えないことから,指定財産の放棄の意思表示の有無は,金銭請求訴訟においては攻撃防御方法にはならないものと整理することができるように思われる(遺留分権利者が,指定財産の引渡し又は移転登記手続請求をしてきた場合に,指定財産の放棄の意思表示がされたという事実が抗弁となるにすぎない。)。